なお最近の研究では、植物と植物も微量物質を放出して互いに一種のコミュニケーションを行っていることが理解されるようになってきている。 コミュニケーションを発信と応答という観点から見た場合、ある個体のアクション(発信)に応じて別の個体にリアクション(応答)が生じた場合、両者の間にコミュニケーションが成立していることになる[6]。コミュニケーション行動の機能は、たんに情報の伝達にとどまらず、情動的な共感、さらには相手の行動の制御をも幅広く含んでいる[6]。 コミュニケーションの成立は、そのための適切な発信行動が取られたというだけではなく、受け手が適切なシグナル・媒体に注意を向け情報を受信した上で、さらに的確な理解をしているかどうか、という点にもかかっている。記号の解釈にあたっては、相補的関係にあるコンテクスト(非言語的な文脈)とコード(言語的な約束)とが参照される[7]。定められたコードを参照するだけでは、メッセージが解読できないとき(たとえば子供のコミュニケーション)、コンテクストが参照され、受信者による推定が加わる事になる[注 2]。 コミュニケーションによって、受け取られる、または伝えられる 情報の種類は、感情、意思、思考、知識など、様々である。受け取るまたは伝える ための媒体としては、言葉、表情、ジェスチャー、鳴き声、分泌物質(フェロモン等)などが用いられている。動物の媒体[注 3]と人間の媒体を比較すると、人間の媒体には(身体の動作、表情、フェロモンなどの動物と共通の媒体に加えて)言語がある、という点が異なっている。 コミュニケーションは、その相互作用の結果として、ある種の等質性や共通性をもたらすことも少なくない[注 4]。人間の場合は特に、他者に対して自分の心の状態を伝えることで働きかけるだけでなく、他者から受け取った情報により、相手の心の状態を読み取ったり共感したりすることも含まれる(他者理解)[注 5]。 この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。
心理学的解釈
人間関係とコミュニケーション
コミュニケーションと言語
出典検索?: "コミュニケーション"
イヌやネコも、イヌやネコなりにコミュニケーションをしているが、しかし人間のように細やかな関係をつくることはできない。「刎頚の交わり」すなわち、首を切られても悔いが無いような親しい友人関係という言葉があるほどに、人間は親密になることも可能である。
加藤秀俊はその理由を、ひとつには人間が「ことば」を使えるからであり[8]、お互いに「わかる」ことができ、共感(Empathy)を持つこと、共感することができるからである[9]とする。加藤によれば、共感とは、ひとりの人間の内部に発生している状態ときわめてよく似た状態がもうひとりの人間の内部に生ずる過程である[10]。例えば、誰かの「痛い」という言葉を聞いた時、聞いた人の内部では次のような過程が発生する[10]。「痛い」という言葉によって表現されたからだの状態に似た状態を、聞き手はみずからの体験に即して想像する。聞き手はべつだんその部分に痛みを感じるわけではないが、「痛い」という言葉によって表現しようとしている身体の状態がどのような性質であるかを知っているのである[10]。また、共感はしばしば、生理的な次元でも起きる[10]。例えば、親密な関係においては、痛みはたんに想像上経験されるだけでなく、実際の生理的な痛みとして体験されることもあるという[10]。また、フィクション上の登場人物の行動に心拍数が上がるとき、観客(読者)は、その登場人物に自分自身を置き換えると言えることから、人間は「相手の身になる」能力を持っているのであるという[10]。「心の理論」および「自閉症」も参照
加藤は、ことばを用いた共感について、小説を読んでいるときの人間の心のうごきを分析して、インクのシミのあつまりに一喜一憂する奇妙な行為であると述べる[11]。このことから、人間は「実在世界的世界の速記法として、記号の世界を泳ぐ能力を持っている」という[11][注 6]。
人間は記号によってうごく。そして人間同士は、記号を用いて互いに共感しあうことができる。加藤は、共感の過程をコミュニケーションと呼ぶ[12]。共感がつみかさねられてゆけばゆくほど、人間関係は深くなってゆくとし、加藤によれば人間関係はコミュニケーションの累積だと言う[13]。また、お互いに記号を交換しあうことなしに成立する人間関係というのは、ほとんど想定できないとし、手紙、デート、おしゃべり、会議など、どんな関係であれ、人間関係は記号、言葉の交換を通じて成立しており、「ことばをかける」ということは人間関係の基本的な条件であるという[13]。
非言語コミュニケーション (NVC)詳細は「非言語コミュニケーション」を参照アイコンタクトによりコミュニケーションする2人の人物(カラヴァッジオ 画 「フォーチュンテラー」)ハンドジェスチャーの一種。ジェスチャーやボディーランゲージといった身振り手振りもまた、コミュニケーション手段として多用される
人間はコミュニケーションを行う時、言葉を使い互いの感情や意思を伝えあってもいるが、「目は口ほどにものをいう」といった諺にも示されているように、言葉よりも、顔の表情、視線、身振りなどが、より重要な役割をになっていることがある。
日常的に人間は複数の非言語的手がかりを使いメッセージを伝達しあっている。これを非言語的コミュニケーション(nonverbal communication: NVC)という[14]。この非言語的なコミュニケーションは、意識して用いていることもあれば、無意識的に用いていることもある[14]。
顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方などによって、人間は非言語的コミュニケーションを行っている[15]。 この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。
他者理解:対人的コミュニケーションと個体内コミュニケーション
出典検索?: "コミュニケーション"
人間は、いくら言葉をたくさん使っても理解し合うことが難しい。加藤秀俊はこれを「対話は、人間の内部で起きているからである」と説明している[16]。ひとりの人間の内部には「もうひとりの自分」がいる。それは別の表現で言えば「取り込まれた他人」ということでもある。