親日
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一般に親日である人を表す場合には「親日家」や「親日派」[2][3][4][5]が用いられる。

フランスでは日本びいきの人を指す語として「タタミゼ」、中華民国(台湾)においては特に親日の若者を指す語として「哈日族」がある。

タイではラーマ9世が、公式、非公式で訪れることの多い秋篠宮文仁親王に対し「我が子と同様」として懇意にしていた。

朝鮮語では「知日派」(チイルパ)と言う。一方、朝鮮語での「親日派」(チニルパ)は日本統治時代の朝鮮韓国併合)の「親日反民族行為者」を指し、 日韓併合時代に日本に友好的であったことは自国への裏切りという考えから(韓国・朝鮮に対する)「売国奴」の意味になる(詳しくは朝鮮語版ウィキペディアの当該ページを参照)。産経新聞でソウル支局記者だった黒田勝弘は、韓国は公式的な場では「反日」であるが非公式な場では「親日」の面もあり、「昼は反日、夜は親日」と言う言葉があったとしている[6][7]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1989年ソウル五輪開催後、韓国国内では親日家が売国奴と同義に使われている事が日本国内で報道され始めると、親日家と言う言葉自体が新聞紙面やTV報道から排除駆逐され知日家と言う言葉に置き換わった[要出典]。

欧米のネット上では、日本文化に執着する人々を侮蔑的にウィアブー(weeaboo)と呼ぶことがある。

この言葉は当初はWhite JapaneseやWestern Japaneseを省略したWapaneseという言葉で表されていたが、差別用語としてインターネットの英語圏の日本関係フォーラムで使用禁止となり、Wapaneseと書き込むと自動的に意味のない間投詞ウィアブーに置き換えられたことからウィアブーそのものが英語圏の親日家や日本被れの者を指すようになった[8]。短縮してweebとも言う。
背景.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}『花咲く梅の木』, ゴッホによる広重の模写(1887年)
経済と技術

日本が明治維新以降、政治・経済における地位を急速に高め、日露戦争における勝利などを経て、アジアで、また有色人種国家としても唯一の「五大国」の一員に数えられる列強となったことや、1945年における第二次世界大戦の敗戦後も、戦後の荒廃から復興を始め、高度経済成長を経て、再び四半世紀強という短期間で世界第2位の経済大国となったことに加え、国内には輸出対象となるような資源をあまり持たないながらも、加工貿易で経済的な成功を遂げたことに対する日本と日本男性への憧れ・尊敬が聞かれる。また後年の輸出品である高度な技術製品は、日本語を解さない人たちにも強い印象を与えた。
伝統文化

江戸時代オランダ貿易や明治時代イギリスを始めとしてヨーロッパやアメリカ間で貿易が行われた際に輸出されつづけた日本文化は、当時驚きと新奇性を持ってブームを巻き起こした。

これをジャポニスムという。その後も日本文化への憧憬は廃れず、世界中に日本に関心を抱く愛好者がいる。

絵画工芸尺八箏曲雅楽などの邦楽歌舞伎日本舞踊などの伝統芸能俳句源氏物語などの文学盆栽日本庭園城郭建築などの建築、華道茶道といった日本独自の伝統芸術、また柔道剣道相撲などの武術、芸者寿司など、様々な分野の伝統的な日本の文化に対する熱心な愛好者がいる。

たとえば盆栽展に行くと米国やフランスの若者の愛好家をよく目にするし、外国人の尺八演奏家もいるなど、伝統文化・伝統芸能分野で日本人以外がそういった文化の吸収に積極的なケースも見出せる。

日本の武道に関しても、スポーツなどとして競技人口は膨大な数にのぼり、国技であるとされる相撲でも外国人力士は数多い。
過去の経緯・国交

歴史的な国家間の交友に起因するケースも存在する。たとえばトルコの場合は、1890年エルトゥールル号遭難事件があげられる。オスマン帝国時代に国家の威信を掛けた親善航海の帰路に発生したこの遭難事故は、これら遭難者を助け、また亡くなった者を慰霊した日本側の態度が美談として同国内で受け継がれ、トルコ共和国となった今日でも、同国との国交にこの遭難事件とそのエピソードが度々引き合いに出されるとも伝えられる。ただし、柏崎トルコ文化村倒産後にトルコ側から寄贈されたムスタファ・ケマル・アタテュルク像のぞんざいな扱いに関連し、「エルトゥールル号の遭難以来、115年を超える信頼関係を裏切る行為だ」とのコメントが関係者から寄せられている[9]
新興文化

1980年代-2000年代以降の親日感情には、日本製の漫画アニメテレビゲーム等のサブカルチャーを始めとしたソフトコンテンツ産業による影響が見られる。台湾の「哈日族」(ハーリィズゥ)や韓国中国の若者達などがいる。

さらに、「キャッツ・アイ」や「ドラえもん」、「ルパン三世」などの数多くのアニメや漫画が輸出されたフランスやイタリア香港タイでは、若年層を中心に日本のアニメや漫画の愛好者が多い。サッカーイタリア代表選手のファビオ・カンナヴァーロをはじめとする多くのプロのサッカー選手が、サッカー漫画「キャプテン翼」を愛読書であると明言している。

この他、J-popなどの日本の音楽テレビドラマも盛んに外国に輸出されるようになり、その作品から日本男性に好意を抱く女性もいる。
歴史的経緯

2017年 BBCワールドサービスの国際世論調査
調査対象国別の対日本観[10]
調査対象国肯定否定どちらでもない肯定-否定
 中国22%75%3-53
 スペイン39%36%253
 トルコ50%32%1818
 パキスタン38%20%4218
 インド45%17%3828
 ロシア45%16%3929
 ペルー56%25%1931
 ナイジェリア57%24%1933
 イギリス65%30%535
 メキシコ59%23%1836
 ケニア58%22%2036
 ドイツ50%13%3737
 インドネシア57%17%2640
 アメリカ65%23%1242
 ギリシャ52%9%3943


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