覆面座談会事件
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残ったSF作家は光瀬龍、眉村卓、南山宏らに限られた[7]

福島はのち1976年に死去。筒井康隆は当時のことを振り返り、覆面座談会以降『SFマガジン』とは絶縁状態が続いたが、副編集長の森優に特に乞われて『脱走と追跡のサンバ』は連載した、しかし短篇はほとんど書かなかったと述べている[8]。また「福島氏はやがて早川書房を退社し、数年後に喉頭ガンで急逝するが、仲直りすることはなかった」[8]とも述べている。大方のSF作家は生前の福島の功績を称えているが[9][10]、筒井康隆など一部のSF作家たちの間では福島への感情的なしこりを残す形になった。1979年に光文社から『SF宝石』が発刊された時には、編集長の谷口尚規が関西在住の作家を訪ねた折、福島の知人であることを何気なく知らせたばかりに門前払いを受け、一部の作家たちから執筆拒否を受けたこともある[11]
脚注[脚注の使い方]^ 並び順は最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社2007年)p391による。一方、平井和正は『夜にかかる虹 上巻』92頁で

A=福島正実

B=稲葉明雄

C=石川喬司

D=森優

E=伊藤典夫
としている。
^ 江戸いろはかるたに由来することわざで、細い葦の茎の管を通して天井を見て、それで天井の全体を見たと思い込むこと。自分の狭い見識に基づいて、勝手に判断することの喩え
^ 豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、1979年、p.103
^―寄せ書き― 豊田有恒「星新一の不思議」星新一公式
^ 平井和正『夜にかかる虹 上巻』リム出版、1990年、p.87-p.93
^ 豊田『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、1979年、p.54
^ 立川ゆかり「是空の作家・光瀬龍 連載第18回」『S-Fマガジン』2013年7月号、p.155
^ a b 『筒井康隆漫画全集』172頁
^ 小松左京『小松左京のSFセミナー』集英社文庫、1982年、p.106
^ 平井和正「掘り出した狼通信 24号」『ウルフの神話』徳間書店、1986年、p.38-p.39
^ 宮田昇『戦後「翻訳」風雲録 翻訳者が神々だった時代』本の雑誌社、2000年、p138 ISBN 4-938463-88-1

参考文献

豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、1979年

豊田有恒『退魔戦記』(
立風書房、1969年)

豊田有恒『自殺コンサルタント』あとがき(三一書房、1969年)

福島正実「特別日記」(早川書房『SFマガジン』1969年12月号所載)

豊田有恒「福島氏に答える」(早川書房『SFマガジン』1970年1月号所載)

最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社2007年ISBN 410459802X

巽孝之『日本SF論争史』勁草書房、2000年

関連項目

SFクズ論争

抜打座談会事件

魔童子論争

太陽風交点事件


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