要石
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そこで香取と鹿島の大神は地中に深く石の棒をさし込み、大鯰の頭と尾を刺し通した[16]。鹿島神宮の要石は大鯰のを押さえると伝えられる[6]鯰絵では、大鯰を踏みつける姿や、剣を振り下ろす姿がよく描かれる。地上部分はほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大鯰あるいはを押さえているという。あるいは貫いている、あるいは打ち殺した・刺し殺したともいう。あるいは、2つの要石は地中で繋がっているという。また、龍は柱に巻き付いて国土を守護しているとも言われる[21]。ただし、大鯰(または竜)は日本全土に渡る、あるいは日本を取り囲んでいるともいい、護国の役割もある。なお、鹿島神宮と香取神宮は、日本で古来から神宮を名乗っていたたった3社のうち2社であり(もう1社は伊勢神宮)、重要性がうかがえる。

要石を打ち下ろし地震を鎮めたのは、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(表記は各種あるが鹿島神社に倣う。通称鹿島様)と、香取神宮の祭神である経津主神だといわれる(前述)[16]。ただし記紀にそのような記述はなく、後代の付与である。建御雷命(武甕槌神)は葦原中国平定国津神を悉く鎮め平らげたことから、大地を要石で押し鎮めたという伝説が生まれたとされる[2]。武甕槌大神は武神・神(剣をフルう神)であるため、要石はしばしば剣にたとえられ、石剣と言うことがある。『新鹿島神宮誌』では「建御雷神(タケミカヅチ)」「布都御魂(フツミタマノツルギ)」の語源より「天にありては雷(イカヅチ)としてものを震(フル)わせ、地にありては地震として震(フル)う」とし[22]、狭義としての地震ではなく「フツギョウ(払暁)」「万物の胎動としての震い起こし(剣を振う/震い起す大神、鹿島立ち、東国の芽生え、安産祈願としての常陸帯)[23]」等の象徴的意味合から要石信仰がはじまったとする[24]

また、大村神社の要石も武甕槌大神と経津主神によって神護景雲元年(767年)に奉鎮されたものとされており、現在は配祀神として祀られている[19]

鹿島神社の要石については、鹿島神宮のものを模したものであるとされている。

伊能穎則(江戸時代末期の国学者)は「あづま路は 香取鹿島の二柱 うごきなき世を なほまもるらし」と詠んでいる[16]
比喩

要石は、動かせないもの、動かしてはならないものの比喩に使われることがある。

ただし、重要なもの、欠けてはならないものの比喩に使われるキーストーン (keystone) が要石と訳されることがある。そのため、この2つの比喩は混同しやすい。
要石が登場する作品

『ストーリーの迷宮』(
阿刀田高) - 大きな地震が学校の授業中に起こらぬように要石に祈る男と巡り合った小説家の不思議な話「学校が危ない」という短編がある。

東方緋想天 ? Scarlet Weather Rhapsody.』(上海アリス幻樂団黄昏フロンティア)- 対戦型格闘ゲーム。要石や大鯰、なゐの神などに関する伝承が元となっている。

MAO高橋留美子

すずめの戸締まり新海誠

脚注^ 鹿島神宮(学生社) 2000, p. 191a要石
^ a b c d 神道大辞典1巻(平凡社1937)コマ202(原本345頁)『カナメイシ 要石』
^ 新鹿島神宮誌 2004, pp. 52?53摂社 奥宮 祭神 武甕槌神荒魂
^ 鹿島神宮(学生社) 2000, pp. 20?21七不思議の一つ要石(かなめいし)
^ 新鹿島神宮誌 2004, p. 157鹿島神宮附近名所旧蹟図
^ a b c d 鹿島神宮(学生社) 2000, p. 191b.
^ a b 新鹿島神宮誌 2004, p. 19.
^ 宇治谷、日本書紀(上) 1988, p. 64.
^ 新鹿島神宮誌 2004, p. 10.
^ 宇治谷、日本書紀(上) 1988, p. 58.
^ 鹿島神宮(学生社) 2000, pp. 60?61常陸は天といわれていた
^ 鹿島神宮(学生社) 2000, pp. 68a-70はじめて祀られた場所
^ 鹿島神宮(学生社) 2000, pp. 68b-70.
^ a b 黒田 2003, pp. 195?201.
^ 香取神宮小史 1995, p. 68.
^ a b c d e 香取神宮小史 1995, p. 63b.
^ 黒田 2003, pp. 186?188.
^ 香取神宮小史 1995, p. 76〈香取神宮境内見取図〉
^ a b大村神社
^ 香取神宮小史 1995, p. 63a要石
^ 黒田 2003, pp. 201?206.
^ 新鹿島神宮誌 2004, p. 105.
^ 新鹿島神宮誌 2004, pp. 87?88〈常陸帯の故事〉
^ 新鹿島神宮誌 2004, pp. 82?83.

参考文献

宇治谷孟『日本書紀(上) 全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年6月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-06-158833-8


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