要撃機
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またドイツ空軍によるロンドン空襲の脅威から、敵の夜間爆撃に対抗できる専用の夜間戦闘機が必要と考え、P-38に似た双発、双胴式でもっと大型の戦闘機P-61を開発した。これも実戦配備された1944年時点では既にドイツ空軍による本格的な空襲は鳴りを潜めており、夜間に進入してくるドイツ空軍、日本軍のもはや小規模の爆撃に対する本来任務の迎撃以外に、連合軍爆撃機の迎撃に飛び立ってきた敵の夜間戦闘機との戦い、搭載力を生かして夜間侵攻用の戦闘爆撃機や地上襲撃機として利用されることが多かった。

第二次世界大戦後、1948年ベルリン封鎖によって緊張が高まり、1949年に旧ソ連が核実験に成功すると、ソ連の爆撃機による核攻撃に恐怖を覚えたアメリカ軍では、矢継ぎ早にF-94F-86D/LF-89など、要撃機としての全天候ジェット戦闘機の開発を進められていった。そして超音速戦闘機の時代に入ってからは、F-102やその改良型のF-106のように対爆撃機に特化した機体を開発していった。またF-101F-104のように、元来は別任務に開発された戦闘機であっても、要撃機としても採用していた。

しかしその後、ソ連空軍のアメリカ本土爆撃能力に対する予想が過大なものだと判明すると、組織改編によって航空宇宙防衛軍団(ADC)が廃止された。この過程で専用の要撃機の開発計画(新規開発機としてXF-108YF-12、前述F-106の発展型として、F-106C/D、あるいはF-106Xなどのプランがあった)が放棄され、さらにF-14F-15を要撃専門の機体として採用する計画も消滅した。そしてF-101F-106が老朽化のため退役すると、要撃専門の機体は存在しなくなった(爆撃機による核攻撃の恐怖よりも大陸間弾道ミサイルの脅威のほうがより重大になったため、核報復戦略戦略防衛構想が優先されたことも影響している)。

防空軍団廃止後のアメリカ空軍の防空任務は戦術航空軍団(TAC)、あるいは空軍州兵(ANG)の担当とされた(現在は戦術航空軍団は航空戦闘軍団に改編されたが、空軍州兵は健在である)。使用された機体はF-15、F-16であり、制空戦闘や迎撃にも用いることができる多用途機である。初期型のF-16は赤外線誘導のサイドワインダー空対空ミサイルM61機関砲を装備する昼間制空戦闘機であり、要撃機としての使用には難があったため、空軍州兵(ANG)に配属された機体にはスパローAIM-120 アムラームの運用能力を付加する改造が行われた。現在のF-16は最初からアムラームの運用能力を持っている。

アメリカ海軍F-14トムキャットは、艦隊防空を主任務とする要撃戦闘機的な性格の強い機体であった。同機に搭載された長距離迎撃用の火器管制装置AIM-54 フェニックスは空軍と海軍の共同開発であり、空軍用としては陸上要撃機に搭載する事が目的であった。しかし上述の通り空軍の要撃機としては採用されず、またイージス艦の就役やソビエト連邦の崩壊により、この種の専用機が配備される必要性が小さくなり、F-14は既に退役済みである。
ソ連MiG-31 (ロシア空軍機)

ソ連・ロシアでの正式名称は迎撃戦闘機(要撃戦闘機;ロシア語: истребитель-перехватчик)で、略称として迎撃機(要撃機;перехватчик)という語も用いられた。

アメリカ軍に比較して、ソ連軍は、特定の目的に特化したものを開発する傾向があり、また空軍とは別に防空軍を設けるなど国土防衛を重視していた。

レシプロ機の時代において、世界初の実用低翼単葉引込脚戦闘機として知られるI-16は、従来の対戦闘機戦闘を重視した運動性を追求した機体ではなく、速度性能と大型機に対抗する火力を重視しており、現在で言う所の要撃機としての要件を満たしていた(対戦闘機戦闘を重視した運動性重視の機体としては同時期にI-15を開発・採用していた)。

ジェット機時代になってからは、Yak-25Yak-28PTu-128Su-15MiG-25MiG-31といった迎撃戦闘機が多数開発されて、運用されていた。

これらの機体には、同時代に輸出にも振り向けられた前線戦闘機(制空戦闘機・戦術戦闘機のこと。迎撃戦闘機に対して前線に配備する事から)よりも高度な電子機器が装備された。逆説的に高度な電子機器を装備した戦闘機は、機密保持のために前線には出さずに要撃任務に振り向けていたとも言われている。こうした機体はより新しい機体が開発されて旧式化すると空軍に回され、一部が旧東側諸国に転売されていった。迎撃戦闘機として開発されて、後に空軍へ配備されて海外にも多数輸出されて、国外生産までなされたMiG-19はその代表格である。また、こうした機体の特徴として、ミサイルが使用される様になった当時は、原則、前線戦闘機に必ず機体固定式機関砲が搭載されていたのに対して、迎撃戦闘機に機関砲が装備されなかったという事が挙げられる。だが防空任務に機関砲が不要になった訳ではなく、迎撃戦闘機には必要に応じて機関砲コンテナーが用いられていた。

しかし、技術の進歩は前線戦闘機と迎撃戦闘機のこうした棲み分けに大きな変化を齎した。その契機となったのは、捜索レーダーを搭載し中距離ミサイルを運用できる前線戦闘機MiG-23の登場であった。初期シリーズに次いで開発されたMiG-23MLは、航続距離こそ同時代の迎撃戦闘機より短かったものの、戦闘能力においてはSu-15TMを凌駕しており、MiG-25PDを十分補佐し得る要撃機であった。この為、MiG-23MLは迎撃戦闘機として防空軍にも採用される事になり、機器等を防空軍基準に合わせた発展型MiG-23Pが開発された。又、ベレンコ中尉の亡命事件を受けてMiG-25PをPD規格に改設計する際に用いられた技術は、MiG-23にも応用された。MiG-23MLDにおいて空軍向けのMiG-23ML/MLAと防空軍向けのMiG-23Pが一本化され、前線戦闘機と迎撃戦闘機の区分が消滅した。

MiG-23の登場に前後し、捜索レーダーを搭載しある程度のミサイルを運用できる戦闘機は「多用途戦闘機」と呼ばれる様になった。


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