要塞
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従って要塞前方から攻められるリスクが下がり、要塞前方は却って敵にとって安全になる。

現代の軍において築城は野戦築城をさす場合がほとんどである。
海岸要塞

一方で海岸に築かれた要塞については、水上艦艇に対する有効な防御施設として機能した。海峡など狭い水域では敵艦の通る経路が限定されるし、沈むことのない陸上砲台は軍艦に比べて圧倒的に有利だからである。ただし航空機と潜水艦の発達が、水上艦艇の価値を相対的に低下させてしまったため、第二次世界大戦以降は海岸要塞の利用価値も無くなった。
第二次世界大戦後の永久要塞

第二次世界大戦後も第一次インドシナ戦争ディエンビエンフーの戦い)、ベトナム戦争中東戦争第四次中東戦争におけるバーレブ・ライン)、湾岸戦争において要塞といえるものが双方で築かれるが、これらは永久要塞というよりは野戦築城の延長線上にあるもので、ベトナム戦争を除き、砂漠地帯の機甲・機動戦においては大きな価値を見出す事ができなかった。とくにディエンビエンフーの戦いやバーレブ・ラインは、現代の戦争において要塞が非力である事を証明する戦いとなった。

また、ユーゴスラビアアルバニア北朝鮮などは第二次世界大戦後、全国土の要塞化を目指し、トーチカや軍事用途に転換可能な公共施設を建築したりしたが、これらはユーゴスラビアを除き実戦経験は無いと見られる。これら以外ではスイスが国境線となる山岳地帯に第二次世界大戦以前から要塞線を築き、スウェーデンなどの北欧諸国では同地域の沿岸の特性を利用した沿岸要塞が各々構築されている。

また、現代においては航空機技術・ミサイル技術など兵器の進歩が著しく要塞に対する遠隔地からの直接攻撃が可能なこと、また要塞により敵軍の攻撃を防ぐことが事実上不可能となったことから、戦略上の必要性は薄れている。

しかし、完全に喪失された訳ではなく、2006年のレバノン侵攻においては、イスラエルと対峙する民兵組織ヒズボラが南レバノンの国境地帯にシェルターを兼ねた地下陣地を多数構築していた(戦後、この地下陣地の一部がヒズボラによって博物館となっている)。これは司令部・通信施設・兵舎・倉庫を兼ねたものであった。これらが民兵の出撃や補給の拠点となり、ゲリラ戦を展開する際に大きな足がかりになった。このように、直接戦闘に巻き込まれる可能性は低いものの、支援や防護という面においては必ずしも存在価値が無くなったとは言い難い。
主な要塞詳細は「Category:各国の要塞」を参照

戦時において、焦点 (戦地) となった要塞を『戦争名:要塞名または戦闘名(要塞保有国名)』で紹介する。
20世紀以前


八十年戦争ブレダ洪水線オランダ

第二次ウィーン包囲ウィーンオーストリア

大北方戦争ナルヴァの戦いスウェーデン

スペイン継承戦争リールフランス

アメリカ独立戦争

タイコンデロガの戦いアメリカ合衆国

ヨークタウンの戦いイギリス


南北戦争サムター要塞アメリカ合衆国

ナポレオン戦争マントヴァ(オーストリア)

クリミア戦争セヴァストポリロシア

戊辰戦争五稜郭(旧幕府軍、函館

20世紀以降


日露戦争旅順要塞(ロシア)

第一次世界大戦

青島の戦い(ドイツ)

リエージュの戦いベルギー

ベルダンの戦い(フランス)


第二次世界大戦

マジノ線(フランス:仏独国境)

ジークフリート線(ドイツ:仏独国境)

エバン・エマール要塞ベルギー

ブレストリトフスクソビエト連邦

シンガポールの戦い(イギリス)

コレヒドール島(アメリカ合衆国:フィリピンレイテ島マニラ湾付近)

セヴァストポリ包囲戦(ソビエト連邦)

虎頭要塞日本満州

大西洋の壁(ナチス・ドイツイギリス海峡仏側)


第一次インドシナ戦争ディエンビエンフーの戦い(フランス)

ミャンマー内戦

カウムーラの戦い


戦前、戦中の日本の要塞

北千島臨時要塞

宗谷臨時要塞

厚岸臨時要塞(釧路)- 未動員。「昭和11年度要塞所要(増加配属)兵器整備計画二関スル報告」

根室臨時要塞- 未動員。「昭和十四年度 帝国陸軍 国土防衛計画」

室蘭臨時要塞 - 工事中、要塞司令部未動員。室蘭防衛隊司令部が高射砲隊、独立警備隊、要塞砲兵隊等を指揮。

津軽要塞 - 1927年(昭和2年)4月1日まで函館要塞と称し、日露戦争でのロシア帝国通商破壊作戦を阻止出来なかったことをきっかけに任務を函館湾函館港の防御から津軽海峡の封鎖にへ発展させた。しかし太平洋戦争では航空機による攻撃手法が加わり、それに対する高射砲は能力の低い12門しか配置されず、結果として国として重要な青函航路を守ることは出来なかった[1]。戦後2001年(平成13年)に函館側施設跡が北海道遺産に選定される。

東京湾要塞

父島要塞

舞鶴要塞

由良要塞

鳴門要塞 - 1903年(明治36年)5月、由良要塞に合併。

呉要塞 - 1903年(明治36年)5月、広島湾要塞に名称変更。1926年(大正15年)8月廃止。

芸予要塞 - 1924年(大正13年)12月廃止

豊予要塞

下関要塞

佐世保要塞 - 1936年(昭和11年)8月、長崎要塞に合併。

長崎要塞

壱岐要塞

対馬要塞

内之浦臨時要塞-鹿児島県志布志湾-連合軍本土上陸作戦の備えて。

奄美大島要塞


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