西鉄バスジャック事件
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バスが停車中の小谷サービスエリア近くの広島県警警察学校では福岡県警察大阪府警察特殊部隊(SAT)によって、突入任務を帯びた機動隊員と機動捜査隊員に速成の訓練ならびに図上演習が施されていた。

事件発生から15時間半後の4日午前5時すぎ、小谷サービスエリアで停車中に警察官による説得中に「手袋を路面に落とす」という突入の合図を受けた15名の隊員の突入により、Aは銃砲刀剣類所持等取締法人質による強要行為等の処罰に関する法律違反で逮捕された。突入の際、フラッシュバンが使われた。国内の人質事件で初めて使用され、以後、立てこもり事件などの際に使用されることになった。この突入で機動隊員1名が、Aに左足を切り付けられて負傷した。この様子はテレビで生中継された。
その後

Aが「ネオむぎ茶」の固定ハンドルネームを用いて、犯行前にインターネット掲示板「2ちゃんねる」に書き込みを行っていたことや、SATが出動したことで話題となった。

その後、Aに対しては佐賀家庭裁判所医療少年院への送致が決定した。2006年2月1日、Aが同年1月中に仮退院していたと報道された。Aは社会復帰への訓練を始めたとされる。

西鉄バスの8544号車は警察により証拠として差し押さえられ、一連の捜索終了後に車検場へと回送、トラウマ対策として荒尾営業所に転属した。
動機

Aは中学校でいじめに遭遇し、家庭内暴力を起こして家族を悩ませた。親は学校にいじめの相談をするが、学校や教育委員会はいじめの事実を認めなかった[2]。高校受験が目前に迫った1998年1月、Aはクラスメイトたちの挑発を受けて踊り場から飛び降りるも、着地に失敗して腰椎損傷の重傷を負って入院[3]。病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したが、入学後は校風が合わないという理由で9日だけ登校し、5月に中退してしまった。

無職となったAは大検を目指していたが[4]、親にパソコンをねだって2ちゃんねるに寝食を忘れるほど熱中し、家庭内暴力がますます悪化していく。飼い犬を叩き、父親に名古屋や大阪などへの日帰りドライブを頻繁に強要した[4]。周辺住民も、Aの妹の悲鳴も聞いている[4]。危険を感じた親が警察や精神科病院に相談するも、事件を起こさない限り対処できないと双方から断られてしまう。そこで親は最後の頼みの綱として、頻繁にテレビに出演し、著書を出している精神科医の町沢静夫に連絡を取って相談。町沢は親にもAにも一切面会しなかったが、親からの要請を受けて2000年3月5日、佐賀県警察国立肥前療養所に電話した。肥前療養所はすぐにAに対して医療保護入院の措置を取った。

入院が決定した際、Aは親に対して絶対に許さないと怒りを露にしたが、実際に入院すると医療スタッフや他の入院患者たちにも礼儀正しく、家庭内暴力で家族を悩ませていたとは思えないほどしっかりしていた。やがて、Aや親と医者との話し合いの上でAの外出許可が出された。病院に帰ってから、愛知県で高校生が老夫婦を殺傷する豊川市主婦殺人事件を知り、Aは手記にこの高校生を褒め称え、自分も早く彼のようになりたいと書いた。この手記の内容をまったく知らなかった医者は、Aの外泊許可を出した。帰宅したAは当初、自分がいじめを受けていた母校の中学校において無差別殺人を行う計画だったが(各教室で生徒を刺して籠城し、注目を浴びたら飛び降りて死ぬつもりだった[4])、ゴールデンウィークで休校だったため、バスジャックに目的を切り替え実行に至ることとなった。

事件後、町沢はマスコミや著書を通じてAや親を擁護する一方、肥前療養所を批判した。これを受けて、肥前療養所の記者会見では院長がAに一度も面会せずにテレビや雑誌で肥前療養所に対する批判を述べていた町沢に対して、「こういう態度は臨床医としてあるまじき行動であり、町沢精神科医に怒り心頭に発している」と述べた。後日、町沢の態度は精神科関連の学会や家庭内暴力関連の団体から厳しく批判された。

2000年、町沢は『論座』7月号から10月号にかけて、事件の対応について矢幡洋と論戦を繰り広げた[5][6]
2ちゃんねる

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犯人の少年は2ちゃんねるが創設されてから間もないころ、「キャットキラー」という固定ハンドルネーム(コテハン)を用いて2ちゃんねるに書き込みを行っていた。しかし、発足間もない当時の2ちゃんねるではコテハンの存在が嫌われており、コテハンがしつこく居座るスレッドにはいわゆる荒らし(大量の無意味な書き込みやブラクラの貼り付けなど)が行われ、コテハンの発言を意図的に遮っていた。当時はモナーギコ猫といったアスキーアートも浸透していなかった。

これを不愉快に受け取ったAは「キャットキラー」を名乗り、ギコ猫を貼り付ける匿名ユーザーに対し挑戦的な言動を仕掛けた。2ちゃんねるというコミュニティで煙たがられることに逆上し、わざと居座ることで匿名ユーザーの感情を逆なでして、無意味な書き込みでスレッドが回転することを煽った。そのうち「1000レス目を取ったほうが勝ち」という勝負を提案したAは、1000レス目に至るまで短い書き込みで自分の名前「キャットキラー」入りの投稿を繰り返したが、999レス目の後で「1000, 1000, 1000, 1000, (中略)僕の勝ち!」という比較的長めの投稿を書き込んでいるうちに他人が1000レス目を書き込んだ。当時は1000までのレス数制限は設けられていなかったため、Aの書き込みは1001レス目となった。これに逆上したAは罵詈雑言を書き込んだあとでキャットキラーの名前を返上することを宣言した。名無しに戻ることを予想していた匿名コミュニティの意思に反して「キャットキラーからネオむぎ茶に改名する」とコテハンを名乗り続けることを宣言し、余計に反感を買う。さらに「ネオむぎ茶」というスレッドを立てて書き込みを募ったが、匿名ユーザーたちからの反応は「氏ね(ネット用語で「死ね」)、と言われたいんですか?」などとそっけないものであった。

このスレッドにAは、友人からの書き込みという名目で「彼は精神病院に入院しました」と書き込むが、Aは普段から友人がいないとこぼしていたためこれが本人の書き込みであるとうわさされる。実際、Aはバスジャック犯行前に精神科病院に入院していた時期があり、犯行時は仮退院中という扱いであった。仮退院の翌日、Aは近くのホームセンターで包丁を購入したときにふたたび「ネオむぎ茶」のハンドルネームを使い、2ちゃんねるに「佐賀県佐賀市17歳・・・。」という題名のスレッドを立てて「ヒヒヒヒヒ」とだけ書き込みをのこす。これが事実上の犯罪予告とみなされ、2ちゃんねるに対するマスコミの批判的な報道がなされた。

後に、当時2ちゃんねるの運営を行っていたひろゆきは雑誌の取材に対して「警察からIPアドレスの確認とか一切なかったんですよ。たぶん彼が『自分で書いた』と自白もしてないから、確証がない[7]」と語っており、Aが実際に投稿を行ったかについて警察は確認をしていない事を明らかにしている。

また2ちゃんねる内で、Aに対して犯罪を煽るような書き込みを何度も繰り返していた東京都内の男性が、事件後佐賀県警から事情聴取を受けている。
名前の由来

「ネオむぎ茶」の名前は、2ちゃんねる創設時の常連利用者でハンドルネーム「むぎ茶」を称していた人物を模倣して、ギリシア語接頭辞ネオ」をつけたものである。

草創期の2ちゃんねるは、様々なシステム上の不備を抱えていた。「むぎ茶」は「スーパーハカー」( = スーパーハッカーの意味。当時の2ちゃんねる内で流行した隠語で、自称「パソコンに詳しい」人を揶揄したもの)の一人で、2ちゃんねるの弱点をみつけては荒らしを繰り返したことから、有名なコテハンとなった。
事件の影響と対策など

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