西郷札
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ただ、発行期間については同年6月から8月[3]、発行高は『薩南血涙史』の記録などから14万1,420円とする資料[4]もあり正確には分かっていない[3]和紙原料の入手が困難だったこともあり、和紙の表裏に布(寒冷紗)を貼り合わせている[1][2][3]。また、耐水性のある黒漆のインクを使用して黄楊の木版で印刷している[3]。券種は6種で[2]『薩南血涙史』の記録によると拾円(濃茶)、五円(葡萄鼠)、壱円(勝色)、五拾銭(桃色)、弐拾銭(黄色)、拾銭(生壁色)としている[4]

薩摩軍の紙幣は戦況悪化とともに信用が低下した[2]。そのため宮崎地方などでは脅迫によって通用させた例もみられた[2]

西南戦争後は明治政府により使用は厳禁とされた[3]。市中に出回った西郷札に対する補償は行われなかったため、特に西南戦争で戦場となった地域では経済が大混乱に陥った[5]。なお「承恵社札」は翌1878年(明治11年)6月に発行元の両社と貸主との示談が成立して償還された[3]
影響

西郷札は西郷隆盛への追慕の情などから庶民の間ではお守りとして珍重された[2]。大阪では西郷札の所有権をめぐって裁判が起きたこともある[2]

西郷の没後50年にあたる1927年(昭和2年)には「南洲翁五拾年祭記念」西郷札という記念レプリカが発行されており紙製と布製がある[2]

松本清張の作品に、西郷札をテーマとした短編小説『西郷札』がある。
脚注^ a b c “「軍票」とは…”. 日本銀行. 2024年3月22日閲覧。
^ a b c d e f g h i j k “年刊田原坂 Vol.6”. 熊本市文化振興課植木分室、熊本市田原坂西南戦争資料館. 2024年3月22日閲覧。
^ a b c d e f 山口 和雄『日本の紙幣』保育社、1984年、46頁。 
^ a b “鹿児島県史料 西南戦争第二巻”. 鹿児島県. 2024年3月22日閲覧。
^ 堀田孝博「西南戦争関連遺跡総合調査成果報告書」2023年3月10日。 

外部リンク

西郷札の歴史を伝える宮崎市広瀬小学校区協議会ホームページ[リンク切れ]

上記ページの2007年9月30日におけるアーカイブ - ウェイバックマシン


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