西淀川区
[Wikipedia|▼Menu]
1910年 - 新淀川の開削工事が完成。

1919年 - 千船村大和田に十三橋警察署大和田分署(西淀川警察署の前身)を開設。

1921年1月5日 - 阪神本線の大和田駅と佃駅を廃止、両駅を統合する形で千船駅を設置。

1924年1月 - 阪神伝法線(現:阪神なんば線)が開通。

1925年

4月1日 - 西成郡鷺洲町・千船町・稗島町・伝法町・歌島村・福村・川北村が大阪市に編入され西淀川区が発足。区役所を浦江町・出張所を大和田町に置く。

10月1日 - 大和田警察署を開設(1943年西淀川警察署に改称)。


1927年5月 - 阪神国道(現:国道2号)が開通。

1934年9月21日 - 室戸台風により区内各地で住宅倒壊・浸水などの被害。

1936年11月 - 西淀川郵便局が佃町に開局(1950年姫里に移転)。

1940年 - 御幣島町に淀川消防署(1943年西淀川消防署に改称)を開設。

1943年4月1日 - 大阪市の22区への分増区および行政区境界見直しに伴い、淀川以南の区域、および淀川以北の東海道本線以東の区域を他区に分離。大和田町・旧区役所出張所を区役所本庁舎とする。

1945年 - 大阪大空襲により地域被災。西淀川区役所・西淀川保健所など焼失。

1947年3月 - 現在地に西淀川区役所初代庁舎が竣工。

1950年9月3日 - ジェーン台風。区内では死者・行方不明者58人、家屋の全半壊・流失計8786戸、床上浸水6130戸などの被害。

1952年4月 - 大阪市立淀商業高等学校東淀川区十三南之町(現:淀川区新北野)から現在地に移転。

1957年3月 - 西淀川区役所2代目庁舎が竣工。

1958年 - 大阪福島高等学校(現:好文学園女子高等学校)および併設の定時制高校・大阪工業高等学校が福島区上福島から現在地に移転。

1961年9月16日 - 第2室戸台風。大和田・出来島・御幣島などで床上浸水被害。

1969年

2月1日 - 阪神高速11号空港線(のち池田線に改称)が開通。

12月 - 「公害にかかる健康被害の救済に関する特別措置法」に基づく地域指定を受ける。


1970年3月10日 - 第二阪神国道(国道43号)が開通。

1971年7月19日 - 大野川跡に歩行者・自転車専用道路を整備する計画を決定(のちの大野川緑陰道路)。

1972年

2月1日 - 住居表示実施。

7月14日 - 大阪市立西淀川図書館が御幣島2丁目(公設市場2階)に開館。


1974年 - 大阪工業高等学校を廃止。

1978年

4月 - 大阪府立西淀川高等学校が開校。

6月10日 - 阪神本線姫島駅?大物駅間が高架化。


1979年

4月 - 大阪市立西淀川養護学校(現:大阪市立西淀川特別支援学校)が開校。

大野川緑陰道路(大野川遊歩道)が完成。


1995年

1月17日 - 阪神・淡路大震災により区内各地で家屋全半壊、道路破損などの被害。

3月2日 - 西淀川公害訴訟第一次訴訟の和解が成立。


1997年3月8日 - JR東西線が開通。御幣島駅開設。

1998年7月6日 - 西淀川公害訴訟第二次?第四次訴訟の和解が成立。

2005年5月 - 西淀川区役所3代目庁舎(現庁舎)が竣工。西淀川図書館が区役所地下1階に移転。

2019年3月 - 大阪府立西淀川高等学校が閉校。

人口

西淀川区の人口推移年世帯数人口人口増減率
(前回比)
1955年(昭和30年)21,70293,953
1960年(昭和35年)28,627116,728+24.24%
1965年(昭和40年)32,119121,246+3.87%
1970年(昭和45年)32,332110,052-9.23%
1975年(昭和50年)30,71896,586-12.24%
1980年(昭和55年)31,21490,691-6.10%
1985年(昭和60年)32,45492,411+1.90%
1990年(平成2年)35,74595,047+2.85%
1995年(平成7年)36,09791,134-4.12%
2000年(平成12年)38,60992,465+1.46%
2005年(平成17年)40,82595,662+3.46%
2010年(平成22年)43,64297,537+1.96%

※1995年の国勢調査では、同年1月の阪神・淡路大震災の影響で人口が大幅に減少した。
区内に本社を置く企業
東証プライム上場

江崎グリコ

ダイフク

フクシマガリレイ

東洋炭素

その他の企業

アイエスケー

IMV

旭化成ファインケム

安治川鉄工

アトライズイナケン

恵比須屋工具製作所

オーウェル

大阪鉛錫精錬所

大阪機電

大阪化成

大阪ボイラー製作所

大阪ヤサカ観光バス

大阪ラセン管工業

奥村機械製作

関西金属工業

協和電子産業

コンテック

サイクルコンビニてるてる

ササクラ

薩南運輸機工

シノブフーズ

下田工業

スタンダードメタル工業


スモカ歯磨

生晃栄養薬品

セッツカートン

ダイシンフーズ

ダイセイ

大同化成工業

ダイト工業

高山運輸建設

タチバナ

田中亜鉛鍍金

テイパ化工

東洋工業

ニッセイ・ニュークリエーション

日本鏡板工業

日本鉄鑵

野村鍍金

ハチ食品

初田工業

ハンシン建設

範多機械

フジコピアン

丸運トランスポート西日本

みすず精工

三菱ふそうトラック・バス 大阪ふそう

三宅製作所

モリモト医薬

豫洲短板産業

ロックペイント

支社・営業所・工場を設置している企業

新家工業関西工場

日本通運大阪西支店

日本農薬大阪工場

パイロットコーポレーション西部支社

淀川製鋼所大阪工場

区内が発祥・発展の地の企業

東洋シヤッター1955年、佃にて創業。


オムロン立石電機製作所時代の1936年、野里に本社工場を建設。1945年6月の空襲にて焼失。


日本製薬日本製薬と経営統合した大五栄養化学(大五製薬)が1921年、当時の西成郡千船村大和田にて創業。1926年武田薬品工業大阪工場そばに移転したが、その場所には現在、大阪市立十三市民病院が建っている。


東洋炭素1941年、近藤カーボン工業所として竹島に設立、2007年に本社を竹島から梅田に移転した。旧本社は現在「近藤照久記念東洋炭素総合開発センター」となっている。


ダイヤゼブラ電機1925年福島区大開にて美登里商会を創業し、珪素鋼板の販売およびラジオ用鉄心の製作を開始した。1939年には西淀川区内に美登里製作所を設立し、1940年には美登里製作所から田淵電機への商号変更を実施した。同区内の本社を中心として電子機器用変成器・電源機器、各種部品の製造・販売を続けてきたが、2006年8月に鶴見区に有った開発センターと御幣島にあった本社の機能を統合するため、淀川区宮原に移転した。移転前に入居していた御幣島の本社跡には現在、篠原電機淀川事業所が入居している。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:53 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef