← 400年11月 - 421年3月 →
西涼の領域(403年ごろ)。
公用語漢語(中国語)
首都敦煌→酒泉→敦煌
涼公[2]
400年11月 - 417年2月李ロ
417年2月 - 420年7月李?
420年7月 - 421年3月李恂
変遷
建国400年11月
北涼により滅亡421年3月
西涼(せいりょう、400年11月 - 421年3月)は、五胡十六国時代に漢族の李ロによって建てられた王朝。首都は敦煌(405年から420年は酒泉)。 後涼末期の397年5月、後涼の建康郡太守段業を擁立した沮渠蒙遜が後涼から自立して北涼を建国した[3][4]。398年4月、段業が敦煌を支配すると、後涼の敦煌郡太守孟敏
歴史
建国期
400年11月、北涼の晋昌郡太守唐瑶(中国語版)が段業から離反し、李ロを冠軍大将軍・沙州刺史・涼公[5]に推戴し、庚子と建元して西涼が建国された[4]。