西武多摩川線
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最高速度:95 km/h[1]

編成両数:4両

路線名称

多摩川線は路線名の変遷が激しい。多摩鉄道時代の1922年に是政駅まで全通後、1927年(旧)西武鉄道に吸収合併され[5]、西武鉄道多摩線となる[6]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}その後[いつ?]是政線に変更され[要検証ノート]、さらに1952年に武蔵境線に変更[7]1955年に武蔵境線から多摩川線に変更[8]されて現在に至る[9]

なお、2000年8月6日東京急行電鉄(当時)の目蒲線が分割され、目黒線東急多摩川線となった際、既に西武鉄道が「多摩川線」の路線名を使用していたため、正式路線名を「東急多摩川線」とすることで区別している。
乗車券・乗降方式

西武鉄道の路線としては孤立しているため、同社の他路線の各駅で発売されている企画乗車券の発売を行っておらず、多摩川線は西武鉄道発行の企画乗車券のフリー区間の適用外となっていることが多い[10]。なお、西武鉄道では自社の鉄道路線全線を対象とした一日乗車券の発売を行っていない[10]。例外的に東急電鉄の各駅(渋谷駅世田谷線各駅を除く)で発売されている「東急線西武線まるごときっぷ」は多摩川線でも乗降できるが[11]、この乗車券は西武鉄道側の駅では購入できない[10][11]

自動改札機が全駅に設置されていないため、西武線では唯一パスネットが利用できなかった。かつて発売されていた、SF機能を持たないレオカードでは切符を購入できたものの、2008年3月14日をもって使用できなくなった。SFレオカード(2008年1月10日発売終了)では切符の購入もできなかった。

自動改札機未設置駅から乗車するときは、乗車券を自動券売機で購入しそのまま入場する(武蔵境駅が有人改札だった時代は改札で「入鋏」のスタンプを押していた)。このため切符には「入鋏省略」と記載されている。出場時には駅係員により切符が回収される。連絡乗車券はJR武蔵境駅の連絡改札口の自動改札機にそのまま投入できる(「武蔵境駅#西武鉄道」も参照)。多摩川線の簡易ICカード改札機
(競艇場前駅、2008年1月30日撮影)

2007年3月18日からサービスを開始した交通系ICカードPASMOは当路線にも導入され、簡易ICカード改札機を各駅に設置している。西武鉄道では池袋線西武秩父線武蔵横手駅 - 横瀬駅間各駅にも同じものが設置されておりオートチャージにも対応している。かつては武蔵境駅・多磨駅でも簡易ICカード改札機が設置されていたが、前者は高架化、後者は橋上駅舎化に伴い自動改札機に置き換えられた。

武蔵境駅が高架化工事前にJRとの共同使用駅だった頃は、定期券発売窓口は、武蔵境駅から一つ目の新小金井駅に設置されていた。武蔵境駅の駅舎改築により多摩川線の定期券発売窓口は武蔵境駅へ移転した。西武鉄道では定期券発売窓口と定期券専用発売機でのみ定期券が購入可能だったが、2017年の券売機更新により全駅の自動券売機で定期券購入が可能となった。
ワンマン運転

1996年4月1日よりワンマン運転を実施している。全駅の改札が初電から終電まで稼動しているため、車内には乗車駅証明書発行機運賃箱運賃表示機などの設備がない、いわゆる都市型ワンマン方式となっている。

ワンマン運転開始当初は、車両前面に「ワンマン」の文字を掲出していたが、現在運用されている新101系ではこの掲示はなく、始発駅発車後の車内放送で案内するのみとなっている。

運転士運転席後部にある(通常は車掌が操作する)ドアスイッチを操作して、ドアを開閉する。起終点の武蔵境駅と是政駅では発車メロディが導入されているが、発車時にはチャイムが鳴る。途中駅ではこれが発車の合図となり、その後「ドアが閉まります。ご注意下さい」と車内放送が流れる。
歴史二枚橋橋梁を渡る旧101系
(2008年1月)「武蔵境駅#歴史」も参照

多摩川の河原で採取した川砂利を運搬する目的で、1910年明治43年)8月に設立された多摩鉄道[12]により開業した路線である。

1907年2月26日に提出された敷設仮免許申請書に添えられていた起業目論見書の目的の項には「旅客貨物運輸の業を営む」と記されており、砂利輸送については触れられていないが、申請直後に「旅客貨物運輸の業を営み併せて砂利玉石石材等の採掘販売」と目的を変更している。この目的の変更は筆頭発起人の阿部貞助の影響があるとみられている。阿部貞助は個人で砂利運搬を目的とした専用鉄道(境 - 多摩間、明治41年6月8日)の免許[13]を得ているが、多摩鉄道設立に参画することにより砂利輸送の役割を負わせたとみられている[14]

多摩鉄道は1908年2月、私設鉄道法に基づき境 - 是政間の仮免許を取得した[15]が、東京天文台より反対があった。同天文台は当時、麻布から三鷹村大沢への移転計画があり(現在国立天文台本部がある国立天文台三鷹キャンパス)、鉄道がそばにあると天体観測業務に支障が出るとの理由からである(当時の鉄道は、排煙を出す蒸気機関車が主力だった)。鉄道会社側も路線変更は承服できないとして反論した。この結果についての書類が失われているため鉄道院の裁定は不明だが、現在路線が大きく迂回していないので鉄道会社の主張が認められたようである[16]

1909年2月、多磨村での約20年間の砂利採掘権を取得する(多摩川での砂利採掘は1964年に禁止された)[16]

1917年10月22日に境駅(現・武蔵境駅) - 北多磨駅(現・白糸台駅)間、1919年6月1日に北多磨駅 - 常久駅(現・競艇場前駅)間、1922年6月20日に常久駅 - 是政駅間が開業した。

1927年8月30日(旧)西武鉄道に合併され同社の多摩線となった[注釈 2]。砂利輸送のついでであった旅客輸送に関しては、1929年に参拝客の増加していた多磨霊園の近くに多磨墓地前駅(現・多磨駅)を開設してガソリンカーの運行を開始、その後は車両を増備して日曜祭日彼岸時には武蔵境駅 - 多磨墓地前駅間を15分毎に頻発運転するようになる[17]

多摩鉄道を合併した(旧)西武鉄道は西武新宿線系統の前身企業で、1945年に西武池袋線系統の前身である武蔵野鉄道に合併され西武農業鉄道となり、翌1946年に現在の西武鉄道となる。また太平洋戦争中は中島飛行機の工場への引き込み線があり、沿線工場への貨物輸送にも利用された。

戦後の1950年電化され、1967年貨物輸送を廃止した。


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