西武多摩川線
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

多摩川の河原で採取した川砂利を運搬する目的で、1910年明治43年)8月に設立された多摩鉄道[12]により開業した路線である。

1907年2月26日に提出された敷設仮免許申請書に添えられていた起業目論見書の目的の項には「旅客貨物運輸の業を営む」と記されており、砂利輸送については触れられていないが、申請直後に「旅客貨物運輸の業を営み併せて砂利玉石石材等の採掘販売」と目的を変更している。この目的の変更は筆頭発起人の阿部貞助の影響があるとみられている。阿部貞助は個人で砂利運搬を目的とした専用鉄道(境 - 多摩間、明治41年6月8日)の免許[13]を得ているが、多摩鉄道設立に参画することにより砂利輸送の役割を負わせたとみられている[14]

多摩鉄道は1908年2月、私設鉄道法に基づき境 - 是政間の仮免許を取得した[15]が、東京天文台より反対があった。同天文台は当時、麻布から三鷹村大沢への移転計画があり(現在国立天文台本部がある国立天文台三鷹キャンパス)、鉄道がそばにあると天体観測業務に支障が出るとの理由からである(当時の鉄道は、排煙を出す蒸気機関車が主力だった)。鉄道会社側も路線変更は承服できないとして反論した。この結果についての書類が失われているため鉄道院の裁定は不明だが、現在路線が大きく迂回していないので鉄道会社の主張が認められたようである[16]

1909年2月、多磨村での約20年間の砂利採掘権を取得する(多摩川での砂利採掘は1964年に禁止された)[16]

1917年10月22日に境駅(現・武蔵境駅) - 北多磨駅(現・白糸台駅)間、1919年6月1日に北多磨駅 - 常久駅(現・競艇場前駅)間、1922年6月20日に常久駅 - 是政駅間が開業した。

1927年8月30日(旧)西武鉄道に合併され同社の多摩線となった[注釈 2]。砂利輸送のついでであった旅客輸送に関しては、1929年に参拝客の増加していた多磨霊園の近くに多磨墓地前駅(現・多磨駅)を開設してガソリンカーの運行を開始、その後は車両を増備して日曜祭日彼岸時には武蔵境駅 - 多磨墓地前駅間を15分毎に頻発運転するようになる[17]

多摩鉄道を合併した(旧)西武鉄道は西武新宿線系統の前身企業で、1945年に西武池袋線系統の前身である武蔵野鉄道に合併され西武農業鉄道となり、翌1946年に現在の西武鉄道となる。また太平洋戦争中は中島飛行機の工場への引き込み線があり、沿線工場への貨物輸送にも利用された。

戦後の1950年電化され、1967年貨物輸送を廃止した。その後は沿線にある多磨霊園、多摩川競艇場アメリカンスクール・イン・ジャパン(東京都調布市野水1丁目、最寄り駅は多磨駅)などのアクセス路線として活用されてきた。

過去には[いつ?]、是政駅から北西方向の東京競馬場、そして武蔵境駅から北東方向の西武新宿線武蔵関駅及びその途中(関前橋)から更に田無町駅(現・ひばりヶ丘駅)、多磨墓地前駅(現・多磨駅)から京王井の頭線久我山駅を経由して西武新宿軌道線の杉並車庫前に至るルートの延長構想があった。さらに多摩ニュータウン計画では、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)・小田急電鉄・西武鉄道の3社が東京都多摩市への延伸について調印し、西武鉄道は北多磨駅から分岐して多摩川線を延伸しようと試みた。当初は多摩センターまでの予定で、他の2社と同じくさらに橋本城山方面への延伸も目論んでいた。しかし武蔵境駅で接続する国鉄(当時)中央線の混雑をさらに助長するとの判断から鉄道敷設免許申請が取り下げられ、調印した3社の中で唯一、多摩ニュータウン乗り入れが実現しなかった[18][19]

戦時中の1941年日本陸軍航空隊向けの調布基地建設のため、多磨駅近くの府中市朝日町3丁目および調布市・三鷹市にまたがり東京調布飛行場が建設され、終戦後は進駐軍に接収され「関東村」となっていたが、地元3市の返還要求を受け、1974年12月10日在日米軍から返還された[20](詳細は「調布飛行場#歴史」参照)。関東村の広大な跡地は調布飛行場をはじめ、スタジアム味の素スタジアムアミノバイタルフィールド都立武蔵野の森総合スポーツプラザ)、公園調布基地跡地運動広場都立武蔵野の森公園)などとして地元自治体によって活用され、2000年には東京外国語大学[21]が東京都北区西ケ原から移転[22]、翌2001年には警察大学校および警視庁警察学校が東京都中野区より移転。関東村跡地の再開発により、多摩川線の輸送需要は大きく増加した。

1996年4月1日、前述のとおりワンマン運転化される。

2003年より2009年にかけて、武蔵境駅の高架化工事を実施した(「武蔵境駅#高架化工事」参照)。高架化工事前、武蔵境駅がJRとの共同使用駅だった頃は、定期券発売窓口は白糸台駅にのみ設置されていた(西武鉄道では当時、定期券は定期券発売窓口と定期券専用発売機のみで購入可能であった)。武蔵境駅の駅舎改築に伴い、多摩川線の定期券発売窓口は武蔵境駅に移転したが、2017年の券売機更新により全駅の券売機で定期券購入が可能となった。また武蔵境駅では2008年9月7日よりJRへの連絡改札口が設置された。

2007年3月18日からは、ICカードPASMOが導入された。また同年12月には、多摩川線開業90周年事業として記念ヘッドマーク掲出や記念乗車券発売などの記念イベント「多摩川線90周年 Since1917」を開催した[23][24]

2010年3月22日には、後述の四季をテーマとしたラッピングがされた新101系電車の出発式が武蔵境駅のホームで行われ、この様子は新聞記事などにも取り上げられた[25]

西武鉄道を含む西武ホールディングス(西武HD)の筆頭株主となっていたアメリカ合衆国投資ファンド会社サーベラス・キャピタル・マネジメントが、2012年10月12日に西武HDの経営合理化策として多摩川線を含む5路線の廃止などを求め[26]、西武HD側がこれを拒絶したことが報道された[26][27]。サーベラス側は廃止提案の存在を否定していたが[26]、多摩川線沿線の府中市・武蔵野市小金井市は3市連名で路線存続の要望書を西武HDと西武鉄道宛てに提出した[28]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:102 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef