西村知美
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特に好きな作品は『うる星やつら』で、そのファンクラブにも入っていた。デビュー前に「読者脚本コンテスト」に応募したほど(20名ほどの候補作に残り、雑誌に名前も掲載された。応募脚本はエッセイ本『夢幻童子』に収録)。また、ファンクラブ会員向けのシナリオのプレゼントが当たらず、自分で台詞を書き起こし、音を消したビデオに自分の声を当てるということもしていた[7]。1991年の劇場版作品『うる星やつら いつだってマイ・ダーリン』では念願が叶い、女の子C役で声の出演を果たした(但し、西村の名前はクレジットされず、愛称であるトロリン名義)。他の高橋の作品も全て好んでおり短編集なども詳しい。中学でテニス部に入ったのも『新・エースをねらえ!』の影響だったと話している[7]

デビュー当初は本人の憧れであり、系列事務所の先輩でもあった菊池桃子のイメージを踏襲する形で、菊池桃子の妹分として売り出された。菊池には大変可愛がってもらい、『夜のヒットスタジオ』で共演した際にはイヤリングをもらったほか、デビュー5周年の記念にサインを変更した際も菊池に考えてもらったという[11]。プライベートでも交流があり、料理のレシピと教えてもらうなど親しくしているという[12]

1991年のある日、ドラマ撮影が夕方に終わる予定が昼に終了したため帰宅し、翌日までオフだと思いのんびり過ごしていた。その日の深夜にテレビを見ると『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』(TBS)の生放送で司会を務めていた三宅裕司が西村の名前を呼んでいた。ドラマ撮影後、この番組のゲスト出演のスケジュールが入っていたことをすっかり忘れていて、マネージャーのポケベルに連絡しても繋がらず、急いでタクシーでスタジオに入り番組エンディングだけ出演した。最後に番組の全体の感想を聞かれたが、当時ワンセグなどないので移動の最中は番組を見ておらず何も答えられなかったことを本人は覚えており、2017年の時点でも思い出す度に反省するという[1](2020年3月21日放送の『有吉反省会SP』(日本テレビ)でもこのエピソードが「生放送すっぽかし事件」として採り上げられた)[13]

堀越学園時代、仲が良かったのは渡辺美奈代酒井法子後藤恭子沢田玉恵斉藤満喜子。芸能活動が忙しかったので休みは半年に1回しかなかった[12]。当時の夕食はロケ弁か、焼肉かラーメンに限られていた[12]。ドラマの撮影で連日休むので単位の取得のために土日も学校に登校していた[12]

デビューから間もない頃、クリスマスに杉浦幸島田奈美、渡辺美奈代、佐野量子、斉藤満喜子とともに当時の自宅で女子会をした[12]

20代前半の頃、伊藤智恵理と共通の友人を多く集めて飲食店で夕方から翌朝10時まで過ごした思い出がある。西村も伊藤も酒が飲めない下戸であるが、おしゃべりに興じる食事会を開くことが好きであった。また、この会を通じて色々なジャンルの人と交流をしたことが勉強になったと当時を振り返っている[12]

若手時代、挨拶や楽屋のルールが厳しかったので座る場所や話し方には注意をしていたが、優しい先輩に巡り合えたことや本気で怒って注意してくれる先輩には感謝している[12]

火を使う撮影があった時、火傷したことを黙っていたら、先輩が気付いて「我慢したらもっと皆に迷惑かかる事になるからキチンと言いなさい!!」と叱ってすぐにトイレへ行って水で冷やしてくれた[12]

移動中に目立つ行動をしたため学生たちに注目されて着替えができなくなり、先輩が「こういう時はバレずに移動しないとダメだよ!!」と叱りながら、自らバスタオルで西村を隠して着替えを手伝ってくれた[12]


自分が極度の心配性ということで「自分に何かあったときに対処できるため」として手話技能検定2級、保育ナチュラリスト、温泉ソムリエマイスター、花火鑑賞士、紅茶コーディネーター、カッパ捕獲許可証、そして2020年にも接客スペシャリスト、認知症介助士の資格を取得するなど、合わせて53の資格を取得しているという[14]。2023年9月時点では55個[15]。(後述

性格について「探究心が強く、興味を持つとパッと動く行動派だが、熱しやすく冷めやすい」と自己評価している[16]。高校卒業後に習い事としてダンスやピアノ、英会話などに挑戦したものの、これらは資格取得とは違って終わりがないため、途中で飽きて長続きしなかったとのこと[16]

好きなことは、温泉、花火、コーヒー、声優、オセロ、タイ古式マッサージを受けること[注 2]

苦手なことは、料理、乗り物などの操縦[3]。ただし車の免許は1か月半という短期間で取得し、1級小型船舶操縦免許は一発合格だった[注 3]。また、アイドル時代から歌手活動を行ってきたが、本人によると「音階というものがよく分からないので、歌も楽器も下手」と自認している[17]

資格に関するエピソード

21歳の時に車の免許を取りたいと所属事務所に言ったところ、当時アイドル活動中で事故の心配もあってスタッフから大反対された[3]。しかしどうしても取得したかったため、「免許を身分証にしたいんです。自分で運転しないことは約束します」と説得して押し切り、初めての資格となる普通自動車免許を取得[3]

結婚後、夫の西尾が飲食店開業にあたって甲種防火管理者の資格が必要になり、西村も付き添う形で一緒に取得し[3]、これを機に以後色々な資格を積極的に取得し始めた[16]。20代の頃、新曲のキャンペーンにろう者のファンが来てくれて、「せめて歌詞だけでも手話で伝えられたら」との思いが、その後手話の勉強を始めるきっかけとなった[注 4]

数ある資格の中からどの資格に挑戦するかは、「好きなこと」、「苦手なこと」、「いつか役立ちそうなこと」[注 5]の3つを基準に、どれか一つでも当てはまるものを選んでいる[3][注 6]。ただし、外国語の発音がちゃんと聞き取れないため、「苦手なこと」にあたる資格でも「語学検定関連は無理」としている[17]

勉強時間を作るため、日常の家事を時短化[注 7]することで睡眠時間を削らずに捻出している[16]。勉強開始から合格するまでのモチベーションを保つために、資格学校で良きライバルを見つけ、疑問や不明点はメモして授業後に先生に積極的に質問している[注 8]。これまでに各資格の試験は多くて2回トライし、それでも不合格の時はスパッと諦めて新たな資格取得に切り替えている[16]

各資格の取得後は、学んだ内容の文章をパソコンや携帯電話に打ち込んだり、手書きのノートを写真に撮って画像データとして保存したり、実技は動画で撮影するなどして、身につけた知識を忘れないようにしている[18]

本人は資格取得について、「日常の仕事や家事は終わりが見えませんが、資格を目標に掲げると前向きに頑張れ、違う世界も覗けて人生の幅が広がるんです」と語っている[16]。将来の夢は、取得した資格の知識を生かして「90歳で人生アドバイザーになること」[16]
出演
映画

ドン松五郎の生活(1986年) - 松沢圭子 役

夜逃げ屋本舗(1992年) - 永島知世 役

超高層ハンティング(1992年) - 井上早苗 役

爆[BAKU]!(1993年) - 村川圭子 役

アイ・ラヴ・ユー(1999年) - 村上今日子 役

ライフ・オン・ザ・ロングボード(2005年)

ゆずり葉-君もまた次のきみへ-(2009年)


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