西村博之
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このサイトには、交通違反の罰金を揉み消すための情報交換掲示板が設置されており、2ちゃんねるのプロトタイプであったとされる[44]。翌1999年5月30日、米国留学中に「あめぞう掲示板」の避難所として匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し[64][注釈 4]、7月22日には「2ch.net」を取得した[65]

ひろゆきは、2ちゃんねるが成功した理由について「情報ニーズがあるから」と、述べている。また、「ネーミングや機能が優れていたからではなく、匿名で自由に書き込みたいという欲望があったから」とも語っている[66]。成功については、「ある程度の大きさになるとは思っていたが、こんなに早くなるとは思わなかった」と述べている[67]。また、あめぞうも含めた掲示板がありながら、2ちゃんねるだけが存続できた理由として、「データが消えない仕組みをつくった」、「(金にならないと思われていた中で)暇だったから辞めないで続けられた」と、述べている[68]
2000年代―2ちゃんねるの成功とニコニコ動画の創設に関与

2000年5月、西鉄バスジャック事件の犯人が2ちゃんねるに犯行予告を行っていたことを受け、当時23歳だったひろゆきは報道番組ニュースステーション』(テレビ朝日)のインタビュー取材に応じた。この時、ひろゆきは「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と発言している(後述)。なお、ひろゆきにとっては、これが初のメディア出演となった。

2001年8月、ひろゆきは日本生命との裁判で敗訴した[69]。この時期から、ひろゆきは2ちゃんねる上のネット中傷を巡る多くの裁判で敗訴し、多額の損害賠償を負うことになった[24][25][26]

2002年までにGoogleは日本で最も検索された単語が「2ちゃんねる」であると公表した。

2002年9月、2ちゃんねるの関連会社である「東京プラス株式会社」(東京都北区赤羽北)を設立するとともに代表取締役に就任。

2003年4月、プログラマーの竹中直純らとともに「未来検索ブラジル」を設立し、取締役に就任。

同年6月には、ひろゆきが代表を務める東京プラスがガーラとの間で、ガーラのネット情報クリッピングサービスにおける2ch.netおよびまちBBSの掲載情報の独占利用許諾契約を締結[70]

2003年9月、ひろゆきが自ら配信したメールマガジンで、DHCの製造する健康食品枯葉剤が混入している、という事実無根のデマを拡散したことについて、東京地方裁判所名誉毀損に該当するとして、ひろゆきに対して700万円の損害賠償の支払いを命じた[71]

2004年10月、2ちゃんねるのログを書籍化した『電車男』が、映画化・テレビドラマ化・舞台化もされる大ヒットとなった。ひろゆきはその印税について、「僕が書いているわけじゃないので、あぶく銭だった」と述べ、阪神・淡路大震災などの被災者に全て寄付したと発言している。2ちゃんねる管理人としての収入は、「サラリーマンの生涯年収を年で稼ぐくらいだった」と発言している[72]

2004年までに「2ちゃんねる」は日本最大のインターネットフォーラムとなった[73]西村博之、札幌市 2005年

2005年11月14日、川上量生麻生将豊麻生太郎の長男)らの協力を得て設立されたドワンゴの子会社ニワンゴの取締役管理人に就任した[74][75][29]。当初、ニワンゴは未来検索ブラジルの技術を応用した「メールポータル」などのサービスをリリースしたが、ユーザー数が伸びずに低迷した[76]。その後、川上量生は動画サービスの可能性を探る中で、プログラマの清水亮のアドバイスで元「廃人軍団」の中野真、UEI所属のプログラマである布留川英一にプロトタイプを作らせ、現在のニコニコ動画に近いものができた。このプロトタイプをベースに、ドワンゴの戀塚昭彦がスケーラビリティを確保させたアルファ版を完成させ、2006年12月に実験サービスとして公開に至った。ひろゆきも、完成したプロトタイプのレビューや2ちゃんねる上での宣伝工作などに協力した。「ニコニコ動画」という名前も、雑談の中で川上が思いついたアイデアにひろゆきが同意したことから決定したという[76]

2008年7月、ティーケイテクノロジー(札幌市)の取締役に就任した。

2008年10月、音楽配信サイト「mF247」をに・よん・なな・みゅーじっくと共同で運営していくことが決まった[77]

2009年1月2日、2ch.netをシンガポールの法人「PACKET MONSTER INC.」(パケットモンスター社)に譲渡し、管理人からも退いた、と主張した[78][79]が、実際はドメインの所有権をペーパーカンパニーに移転したに過ぎず、ひろゆきが取締役を務める東京プラス社および未来検索ブラジル社に2ch.netの収益が還流されていたとみなされている[80]。さてさて最近の僕はといえば、2ちゃんねるを譲渡して管理人を外れ、その企業から相談をされたときにアドバイスをする『2ちゃんねるアドバイザー』、もしくは単なる1ユーザーだったりします。〔……〕では、なぜ2ちゃんねるを譲渡、つまり手放したのか? 僕は2009年、2ちゃんねるをシンガポールのパケットモンスター社に譲渡しました。もともと『2ch.net』というドメインは、アメリカのベリーズにあるモンスターズ社が所有していて、営業を僕が行っているという状態でした。ちなみにベリーズにあるモンスター社は、4、5年前に作った会社でして、映画『モンスターズ・インク』に登場する「モンスターズ・インク」という会社を実在させたくて作っただけの会社で、特に何かしようと思って作ったわけではありませんでした。そこで、モンスターズ社が所有しているドメインの所有権と、僕が持っている2ちゃんねるの営業権を、パケットモンスター社にまとめてしまおうと考えたのです。 ? 西村博之
「僕が2ちゃんねるを手放した理由」
『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』小学館

同年4月には、米エンターテインメント業界誌「ハリウッド・リポーター」にてアジアのエンターテインメント業界を牽引する20人「ネクスト・ジェネレーション・アジア」の1人に選ばれた[81]。同誌はひろゆきについて、「日本の典型的エグゼクティブ(管理職)へのアンチテーゼ(反定立)」と評した。また、同年にNAVER JAPAN(現LINE社)のアドバイザリーボードに参加している。
2010年代―2ちゃんねるの管理権限紛争と4chan管理人への就任

2011年11月から、麻薬特例法違反幇助の疑いで札幌市にある2ちゃんねるのサーバー管理を代行する株式会社ゼロに強制捜査が入るなど、警視庁による2ちゃんねるへの捜査が始まる。警視庁は、2010年から2ちゃんねる側に対し、繰り返し薬物取引の書き込みを削除するように求めていたが、運営側は応じていなかった。また警視庁は、2ちゃんねるの管理者や運営システムが不明確であり、責任の所在を明らかにする必要があると主張していた[82][83]。また、2ちゃんねるのサーバーは、米国中南米を転々としており、これは管理責任を逃れる目的がある可能性を指摘された[84]

2012年3月、読売新聞の取材により、2ちゃんねるの登記上の運営会社が、実態のないペーパーカンパニーであることが判明した。ひろゆきは、2009年にシンガポール法人「パケットモンスター」に2ちゃんねるを譲渡したと主張したが、それ以降も日本の関係者から管理されていたと考えられている。


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