西村博之
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2005年11月14日、川上量生麻生将豊麻生太郎の長男)らの協力を得て設立されたドワンゴの子会社ニワンゴの取締役管理人に就任した[74][75][29]。当初、ニワンゴは未来検索ブラジルの技術を応用した「メールポータル」などのサービスをリリースしたが、ユーザー数が伸びずに低迷した[76]。その後、川上量生は動画サービスの可能性を探る中で、プログラマの清水亮のアドバイスで元「廃人軍団」の中野真、UEI所属のプログラマである布留川英一にプロトタイプを作らせ、現在のニコニコ動画に近いものができた。このプロトタイプをベースに、ドワンゴの戀塚昭彦がスケーラビリティを確保させたアルファ版を完成させ、2006年12月に実験サービスとして公開に至った。ひろゆきも、完成したプロトタイプのレビューや2ちゃんねる上での宣伝工作などに協力した。「ニコニコ動画」という名前も、雑談の中で川上が思いついたアイデアにひろゆきが同意したことから決定したという[76]

2008年7月、ティーケイテクノロジー(札幌市)の取締役に就任した。

2008年10月、音楽配信サイト「mF247」をに・よん・なな・みゅーじっくと共同で運営していくことが決まった[77]

2009年1月2日、2ch.netをシンガポールの法人「PACKET MONSTER INC.」(パケットモンスター社)に譲渡し、管理人からも退いた、と主張した[78][79]が、実際はドメインの所有権をペーパーカンパニーに移転したに過ぎず、ひろゆきが取締役を務める東京プラス社および未来検索ブラジル社に2ch.netの収益が還流されていたとみなされている[80]。さてさて最近の僕はといえば、2ちゃんねるを譲渡して管理人を外れ、その企業から相談をされたときにアドバイスをする『2ちゃんねるアドバイザー』、もしくは単なる1ユーザーだったりします。〔……〕では、なぜ2ちゃんねるを譲渡、つまり手放したのか? 僕は2009年、2ちゃんねるをシンガポールのパケットモンスター社に譲渡しました。もともと『2ch.net』というドメインは、アメリカのベリーズにあるモンスターズ社が所有していて、営業を僕が行っているという状態でした。ちなみにベリーズにあるモンスター社は、4、5年前に作った会社でして、映画『モンスターズ・インク』に登場する「モンスターズ・インク」という会社を実在させたくて作っただけの会社で、特に何かしようと思って作ったわけではありませんでした。そこで、モンスターズ社が所有しているドメインの所有権と、僕が持っている2ちゃんねるの営業権を、パケットモンスター社にまとめてしまおうと考えたのです。 ? 西村博之
「僕が2ちゃんねるを手放した理由」
『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』小学館

同年4月には、米エンターテインメント業界誌「ハリウッド・リポーター」にてアジアのエンターテインメント業界を牽引する20人「ネクスト・ジェネレーション・アジア」の1人に選ばれた[81]。同誌はひろゆきについて、「日本の典型的エグゼクティブ(管理職)へのアンチテーゼ(反定立)」と評した。また、同年にNAVER JAPAN(現LINE社)のアドバイザリーボードに参加している。
2010年代―2ちゃんねるの管理権限紛争と4chan管理人への就任

2011年11月から、麻薬特例法違反幇助の疑いで札幌市にある2ちゃんねるのサーバー管理を代行する株式会社ゼロに強制捜査が入るなど、警視庁による2ちゃんねるへの捜査が始まる。警視庁は、2010年から2ちゃんねる側に対し、繰り返し薬物取引の書き込みを削除するように求めていたが、運営側は応じていなかった。また警視庁は、2ちゃんねるの管理者や運営システムが不明確であり、責任の所在を明らかにする必要があると主張していた[82][83]。また、2ちゃんねるのサーバーは、米国中南米を転々としており、これは管理責任を逃れる目的がある可能性を指摘された[84]

2012年3月、読売新聞の取材により、2ちゃんねるの登記上の運営会社が、実態のないペーパーカンパニーであることが判明した。ひろゆきは、2009年にシンガポール法人「パケットモンスター」に2ちゃんねるを譲渡したと主張したが、それ以降も日本の関係者から管理されていたと考えられている。実際、同社は、シンガポールへの非公開有限会社(英語版)の設立支援などを行っている企業である「RIKVIN」を利用して約700シンガポールドル(年間約4万6000円)で設立された法人であった。事実、スタッフは1人もおらず、仮想法人のような形式であり、2012年には、同社取締役も2ちゃんねるの存在すら知らなかったことが発覚した。警察関係者は「国内での訴訟を回避するのが狙いではないか」と分析した[85]

2012年12月20日、2ちゃんねる(2ch.net)上の違法な情報を放置したとして、麻薬特例法違反(あおり、唆し)幇助の疑いで警視庁によって書類送検された[86][87]。また、警視庁はパケット社をペーパーカンパニーと認識していると報じられた[86][88]

2013年1月、西村博之名義で「2ちゃんねる」の商標を出願した[89]。この時期、盟友の川上量生から、ニコニコ動画の管理人を辞任するように求められたため、2月18日、一身上の都合によりニワンゴの取締役を辞任した[90][91]。3月19日、東京地方検察庁はひろゆきを不起訴処分としたが、不起訴理由を開示していない。理由について日本経済新聞は、容疑事実をひろゆきが把握していたと示す証拠がないこと、2011年11月の家宅捜索に違法な書き込みを削除したこと、朝日新聞は違法な書き込みを放置していた容疑はあるが教唆する書き込みは少なく悪質性が小さいことを、それぞれ挙げている[92][93]

2013年5月26日、ひろゆきが取締役を務めるティーケーテクノロジーが、2ちゃんねるビューアのサポート受付業務を取得[94]

2013年8月24日、シンガポールの法人「パケットモンスター」に2ちゃんねるを譲渡し、「単なるユーザー」になったと主張した2009年以降も、合計3億5000万円に及ぶ広告収入を受け取っていたことが判明した。2ちゃんねるの広告収入はひろゆきが代表を務める「東京プラス」社に入った後、パケットモンスター社に送金され、ひろゆきは同社から報酬名目で資金を受け取っていた。パケットモンスター社はペーパーカンパニーとみなされており、国税庁は約1億円の申告漏れを指摘。ひろゆきは約3000万円の追徴課税を受けることとなった[95][96][97]

2013年8月25日、2ちゃんねる個人情報流出事件が発生する[98]

2014年4月20日、前日に婚姻届を提出したと発表した[99]。婚姻相手は飲み会で知り合い、約10年間同棲したWebディレクターの植木由佳東京都北区田端出身。植木が2ちゃんねる削除人の「削ジェンヌ」であると言われることがあるが、本人は否定している[100]。結婚後は「西村ゆか」名義で活動している)。ひろゆきは結婚理由について「結婚したほうがフランスのビザを取りやすくなる」と説明している[101][102][103]。なお、植木原作のエッセイ4コマ漫画『だんな様はひろゆき』では、妻の視点から見たひろゆきの知られざる私生活が赤裸々に描かれている[104]


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