1976年、神奈川県相模原市に生まれ、東京都北区赤羽北で育った[1][47][48]。祖父は北海道で西村牧場を運営していた酪農家の西村和夫
、父親は財務省国税庁国税局税務署員で北海道足寄町出身、姉が一人いる[47][49]。少年時代は、生活保護受給者が大勢居住していた都営桐ヶ丘団地に住んでいた[48]。ベーシックインカムを推進しているのも、このような環境で育ち「働かないといけない」という感覚が圧倒的に乏しいからと述べている[50]。また、団地では結婚して共働きで収入が増えると家賃が上がるという理由で偽装離婚している事実婚の夫婦がたくさんいたことから、結婚なんて書類上のことなのだという考えを持ち、妻の植木ともフランスに移住する2014年まで事実婚だった[51]。
北区立北園小学校(現:北区立袋小学校)[52]を卒業後、北区立北中学校(現:北区立桐ヶ丘中学校)に入学した。中学時代について、「中学は荒れすぎて、先生が殴られて失明したり、登校時校門の前の先輩に男子は全員一発殴られるとか、一日で窓ガラスが13枚割れたりと地元でも野蛮で有名な中学だったので、校則が徹底出来ないのが当たり前だった。校則が全く無い公立高校に行ったので、校則で困った経験無い」と回想している[53][54]。その後、東京都立北園高等学校に進学し[55]、高校では物理学専攻を志望していたが、代数の教師と折り合いが悪く単位を落として理系進学を断念した[56]。高校卒業時の成績は、下から10番以内だったという[57]。1996年4月、一浪の末に中央大学文学部教育学科心理学コース(現:人文社会学科心理学専攻)に入学し[58]、「文化連盟犯罪科学研究会」に所属するが、会計を担当した際、帳簿をつけないなどずさんな事務を問われ退会した[59]。その後、原付バイクで交通事故に遭い、その慰謝料で、1998年夏に米国アーカンソー州のアーカンソー中央大学へ1年間留学した[60][61]。
大学で心理学を学ぼうと考えた理由は、「心理学だけは人の心を扱うので、参考書を読んだだけではマスターできないと考えたから」であるが、実際に大学の授業を受けると授業でも参考書を読むだけだったため、期待外れであったと述べている[4]。また、中央大学を志望・受験したのは「最小限の労力で乗り切るため」であり「受験勉強をしたくないから、用語集の一番薄い政治経済を選び、自分の学力で受かる大学を受けた。受験はマークシート式で、最小限の労力で乗り切った。決して東大を目指すようなことはせず、『大卒』のカードだけを持っておこうと思った。僕はそうやって生き残ってきたタイプだ。大学に入っても、学問を修めるという意識はなく、最短で単位を取りながらダラダラと過ごすモラトリアム生活を満喫した。」と述べている[62]。
1990年代―2ちゃんねる開設詳細は「あめぞう」および「2ちゃんねる」を参照