西暦
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現在でも法令として有効である閏年の置き方に関する勅令(閏年ニ関スル件[14]、明治31年5月11日勅令第90号)では、閏年の判定を西暦ではなく、神武天皇即位紀元によって行うことが定められた。西暦は法制化されていないため、長期紀年法としては、神武天皇即位紀元が、今でも法制上かつ暦法上の唯一のものであるが、戦後は一般には用いられていない[15]

西暦に対して、元号を用いた日本独自の紀年法のことを和暦、あるいは邦暦、日本暦と呼ぶことがある[16]
「西紀」の語

この方式の紀年法の日本での呼び名は、今日では「西暦」と呼ばれる事が圧倒的に多いが、幕末から昭和時代にかけては「西洋紀元」を省略して「西紀」と言う表記も行われていた。本来なら西暦より西紀のほうがふさわしく、西暦と訳すのに適切なのは(西暦は「西洋の暦」の意であるから)グレゴリオ暦のはずである[17]。実際、村田文夫の『西洋聞見録 後編』(1871年)では、「西暦」は西洋の暦法であるグレゴリオ暦(あるいはユリウス暦)を指している。まれに「キリスト紀元」(「基督紀元」)の表記も見られる。
中国

中華民国では、辛亥革命勃発(1911年)の翌年に当たる1912年に元号を廃止し、中華民国が樹立された1912年を元年とする民国紀元(中華民国暦)を採用した。中華民国では宣統の次の元号のように「民国」という表記で扱われている。中華民国が台湾に逃れた1949年10月以降も、政府機関が公的な場で使用している紀年法であり、民間では西暦と共に使用されている。

1949年10月1日に成立した中華人民共和国では、民国紀元も廃止され、政府機関も民間も西暦(公元)に統一されている。歴史に関する話題で元号を使用(あるいは併用)していても、1912年以降は元号が廃止されているので、西暦のみを使用する(中華民国時代についても民国紀元を使わない)。
朝鮮半島

朝鮮半島で南北に存在する大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、同一の朝鮮民族を主体とする2つの国家が独自の紀年法を西暦と併用して維持している。

韓国では朝鮮神話における最初の王朝、檀君朝鮮の初代王である檀君の即位年とされる紀元前2333年を紀元とした檀君紀元[注 5]が提唱され、建国直後の西暦1948年(檀君紀元4281年)から1961年(同4294年)までは公文書に記載されていたが[注 6]1962年1月1日からは廃止された[注 7]。ただし、その後も檀君紀元は民間の中で使用が続けられている[注 8]

北朝鮮では西暦1948年の建国から西暦のみが使われてきたが、1997年9月9日から主体年号の使用が告知され、公式行事や同国の報道機関[注 9]で使用されるようになった。これは同国の初代かつ唯一の国家主席である金日成の生誕年である西暦1912年を紀元としたもので[注 10]、結果として民国紀元(中華民国暦)と同年となる。日本語で表記する場合には「主体□□年」、ないし朝鮮語の発音をカタカナにした「チュチェ□□年」となる[注 11]
東南アジア・南アジア地域

東南アジア・南アジア地域のうち、仏教、特に上座部仏教の信徒が多数を占めているタイカンボジアラオスミャンマースリランカなどでは、仏教の開祖である釈迦入滅(死去)した年を基準とする仏滅紀元(仏暦)が普及している。なお、ミャンマーとスリランカでは釈迦の入滅年とされる紀元前544年を紀元元年、タイ・カンボジア・ラオスではその翌年である紀元前543年を紀元元年とし、1年のずれが生じている。

特に王室が仏教を厚く保護するタイ王国ではこの仏暦が公式文書で使われている。この場合、タイ語では仏滅紀元、西暦が普及している国で広く使われる英語や日本語では西暦で表記される例がある[注 12]。また、西暦1940年(仏滅紀元2483年)に仏暦が9月で打ち切られて元日が揃えられ、「西暦y年m月d日=仏滅紀元y+543年m月d日」の計算式が成立したが[注 13]、一部では整理前の年号が使用されているともいわれる(詳細は「仏滅紀元」も参照)。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1582年10月4日まではユリウス暦による紀年法を指す。
^ 当時のローマは東ローマ帝国の承認を受けた東ゴート王国テオドリック大王による支配下にあり、ローマ教皇は管轄地域である西方地域での影響力を持っていた。
^ ディオニシウス・ペタヴィウスはラテン語の名前、ドニ・プトはフランス語の名前である。
^ たとえばウィクショナリー「AD」(英語版)を参照。
^ 檀君紀元と西暦では新年のずれは生じない。西暦2024年は檀君紀元4357年となる。
^ なお、同年8月15日の建国直後には大韓民国臨時政府(上海亡命政府)が成立した1919年を紀元とする「大韓民国暦」が使われたが、1か月で使用が停止された。
^ 韓国の初代大統領は1919年の臨時政府でも大統領を務めた李承晩で、彼は強いナショナリズム政策を取っていたが、李の失脚後に1961年の軍事クーデターで政権を奪取した朴正煕は強権による近代化路線への変更を準備していた。
^ 韓国の歴史教育では檀君自体は実在するとされている。
^ 一例として、北朝鮮の国営通信社である朝鮮中央通信の公式サイトでは、朝鮮語と英語の双方で主体暦と西暦の併記が行なわれている。
^ 金日成は主体暦導入3年前の1994年に死去していた。この主体暦導入決定は彼の長男で、北朝鮮の2代目最高指導者となった金正日により実施された。
^ 西暦2024年は主体(チュチェ)113年。
^ たとえば、西暦2017年(仏暦2560年)に日本で開催される「第18回タイ・フェスティバル2017」では、タイ語の案内では仏暦 ⇒(実例)、日本語の案内では西暦 ⇒(実例)の紀年法が採用されている。出典:在東京タイ王国大使館、「 ⇒公式サイト」、2017年5月1日閲覧。
^ 例えば、西暦2024年は仏滅紀元2567年。

出典^ J・D・ブルゴワン『暦の歴史』池上俊一(監修)、南條郁子(訳)、創元社〈「知の再発見」双書〉、2001年5月20日、66頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-422-21156-5。 
^ 佐藤幸治『文化としての暦』1998年、創元社、 「西洋の年初」p.69
^ a b The Guardian "The YK2 bug in all our calendars" 23 Sep 1999
^ “現行の暦法”. 海上保安庁. 2021年11月14日閲覧。
^ a b 佐藤(2009), p.37
^ a b c 岡崎 1996, 第二章 中世における普遍史の展開,ディオニシウス・エウシグウス


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