西新宿
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市外局番03(東京MA[4]
ナンバープレート練馬
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西新宿(にししんじゅく)は、東京都新宿区町名新宿副都心の西側にあたるオフィス街であり、都心と並ぶ超高層ビル群となっている。現行行政区画は西新宿一丁目から西新宿八丁目。住居表示実施済みの地域。
概要

西新宿の範囲は新宿駅の西口から、渋谷区中野区の区境付近までで、日本でも屈指のターミナル駅である新宿駅の西側一帯の地域である。繁華街のほか新宿新都心(副都心)と呼ばれる超高層ビル街がある。超高層ビル群は東京有数の規模のオフィス街を形成しているが、周辺には再開発されていない古くからの木造住宅密集地域も存在する。戦前から繁華街として発展していた東口に対して開発が遅れていた西口であったが、戦後に大規模な淀橋浄水場跡地の再開発を行い、1970年代京王プラザホテルを皮切りに続々と200mクラスの超高層ビルが建設されていった(後述)。1991年には千代田区丸の内から東京都庁舎が移転開庁した。
歴史歌川広重の「名所江戸百景」の角筈熊野十二社。十二社池(現在の西新宿四丁目付近にあった池)が描かれている。拡大
Clip淀橋浄水場(1956年)

西新宿の名の由来は新宿区の新宿地区の西、若しくは新宿駅の西に位置することからであるが、この名称になったのは1970年昭和45年)の住居表示が実施されてからで、それ以前この地の大半(西新宿一 - 六丁目)は角筈(つのはず)と呼ばれていた。これはかつての角筈村の範囲、南豊島郡淀橋町発足後は大字角筈の範囲に基づく。また青梅街道の北側(西新宿七 - 八丁目)は柏木(かしわぎ)一丁目と呼ばれていた[注釈 1]。これらの地名は、新宿区特別出張所やバス停の名称などに未だに見られる。また、新町(しんまち)・成子(なるこ)町・十二社(じゅうにそう)・辻・幡谷前・豊水・添地町・五十人町といった字(あざ)も過去にみられ、いずれも史跡やバス停などの名称、現地の通称として残っているものもある。

内藤新宿の宿場からもやや離れた当地は、江戸時代は現在の西新宿四丁目に十二社池と熊野神社の滝それに伴う茶屋のほかに屋敷なども見られたが、農村が主体であった。この地域に最初に変化をもたらしたのが1885年明治17年)の新宿駅の開業である。1889年(明治22年)には、品川線(現:山手線)・甲武鉄道(現:中央本線)のターミナル駅となり、街の発展の礎となった。この鉄路を生かして、1898年(明治31年)には長らくこの街のシンボルであった、淀橋浄水場が完成。これは東京の市中に送る水道の施設であり、東京における近代水道発祥の地となった。

このころから地方から東京へ移住してきた人も近辺に住み始めるようになったがこれに拍車をかけたのが1923年大正12年)の関東大震災であり、東京の市内で震災で住居を失った人たちが、広い山の手郊外に土地を求め、住宅が多く立ち並ぶようになり西新宿一帯は山の手の代表的な住宅地となった。しかしながら東口方面と異なり、西口には商業集積はなにもなく、東京地方専売局淀橋工場と浄水場が主な施設であり、これ以外には人家と学校があるに過ぎなかった。このため、今後の新宿の繁栄のために広大な面積を占める浄水場の移転が大正末期ごろから地元民によって要望され始めた。行政当局によって浄水場の移転を含む西口一帯の都市改造が具体的に検討、計画されたのは1932年(昭和7年)からであった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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