西新宿
[Wikipedia|▼Menu]
戦後まもなく、東京の街が西へと広がるのと戦後復興の一環として、交通の要所となっていた新宿の街の利便性が注目され、当地に商業施設を集中させる、新宿副都心計画が策定された。それは、駅の至近にあった淀橋浄水場を移転させ、空いた広大な敷地に高層ビル群などを建設し、一大商業エリアにするというものであった。日本高度経済成長のさなか、まず1965年(昭和40年)に東村山市に浄水場が移転され、1971年(昭和46年)に京王プラザホテルが建設された。この京王プラザホテルを皮切りに200メートル超の高層ビルが建設され街のシンボルとなった。また1960年代を境に、新宿駅周辺の私鉄系のデパート小田急百貨店京王百貨店)の建設、都電都電杉並線)の廃止、新宿駅西口地下広場の建設など駅周辺の再開発もこの街の歴史に触れる際に重要である。(新宿駅西口地下広場については新宿駅西口地下広場を参照)。

1991年平成3年)に東京都庁舎が新宿高層ビル群の一角に移転開庁し、ほぼ現在見られる街の姿となった。

2000年代以降も駅から離れた地域では、依然として昔からの住居が多く、昭和時代の東京の住宅街の面影を残しているが、ビルの建設や、自治体の再開発計画なども多く、年々これらの面影も薄れてきており、商業地域としての西新宿が年を追うごとに顕在化した。

2012年(平成24年)、東京都は西新宿一丁目および七丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[5]。さらに2019年(令和元年)には同一丁目および七丁目を暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定[6]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[7]
現代の西新宿丁目毎の地域状況

丁目地域性
西新宿一丁目
新宿駅周辺・デパート・飲食・電化製品などの大規模商店
西新宿二丁目超高層ビル群・都庁高級ホテル公園
西新宿三丁目高級ホテル・旧マンション・オフィス
西新宿四丁目住宅地飲食店
西新宿五丁目住宅地・個人商店・飲食店・新興マンション・再開発地域
西新宿六丁目超高層ビル・高級ホテル・新興マンション・病院
西新宿七丁目パブ・スナック・飲食店・旧マンション・オフィス
西新宿八丁目住宅地・新興マンション・再開発地域

年表

1885年(明治18年):新宿駅開業。

1898年(明治31年):淀橋浄水場通水。

1914年(大正3年):京王電気軌道(現:京王線)開通。

1927年(昭和2年):小田急線開通。

1965年(昭和40年):淀橋浄水場が東村山浄水場へ機能を移転、廃止。

1966年(昭和41年):新宿駅西口地下広場竣工。

1970年(昭和45年):住居表示実施により西新宿一 - 六丁目が誕生。

1971年(昭和46年):住居表示実施により西新宿七 - 八丁目が誕生。浄水場跡に京王プラザホテルが開業し、これを皮切りに1970 - 80年代にかけ、相次いで高層ビルが建設される。

1991年(平成3年):東京都庁舎が千代田区丸の内三丁目より、西新宿二丁目のビル群へ移転開庁。

1996年(平成8年):丸ノ内線西新宿駅開業。

1997年(平成9年):都営12号線(現:大江戸線)光が丘 - 新宿間開業。西新宿五丁目駅都庁前駅が開業。

2000年(平成12年):都営大江戸線全線開業。新宿西口駅開業。

成子坂成子子育地蔵尊

成子坂(なるこざか)は、かつての新宿区柏木1丁目、青梅街道にあるであり、成子天神前から西へ、淀橋まで下っている[8]。別名を、鳴子坂、地蔵坂ともいう[8]

坂道は、現在の住所では西新宿6丁目と西新宿8丁目の境界に位置し、地下鉄西新宿駅東京医科大学病院のあたりにはじまり、十二社通りとの『成子坂下』交差点を経て、神田川の流れる淀橋まで下る。淀橋のすぐ西側からは中野区中央1丁目、本町1丁目)となる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:100 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef