西尾城
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これは、承久3年(1221年)に、足利義氏が、三河守護に任命されて、幡豆郡吉良庄西条に、西条城を築き、その後、永禄4年(1561年)に徳川家康の家臣の酒井正親が西条を西尾に改名したという言伝えによるものである[7]

しかし、徳川氏が奪取する以前から、「西尾の城」と呼ばれていた可能性もある[8]。『三河物語』では西尾城と東祥(東条)城が、並べて記載されており『東照宮御実紀 巻二』[9]、には「西尾の城」と記されている。他に、『家忠日記』には「吉良之城」との記述が見える。[10]。また『三河物語』に、「又有る時は、西尾の城を得、…(中略)…又有る時は、東祥(東条)の城を得」とある。『改正三河後風土記』には、「西條」は領名、「西尾」は城名のように記述されている[11]。徳川家康朱印状に、天正9年10月28日、西条之内西尾…、という記述があり、西尾が吉良荘西条の一地名にすぎないことがわかる。

三河国二葉松;元文5年(1740年)には、西尾城 号西条。三河堤;天明末から寛政2年(1790年)頃には、西尾 城下古の西城。西尾城 諸書曰く古の西条にて。と記載されている。三河古城記;安永9年(1780年)には、西城 西尾酒井雅楽助。と記載され、江戸時代中期以降の地誌に、現在の西尾城は、昔の西条城(西城)なりという主張が見える。
今川氏給付の判物の事例

永禄3年(1560年)には「西条」の記述 ; 『
今川氏真判物写(永禄三庚申年十二月二日・松井宗恒宛)』[12]では、「吉良於西条、味方令敗軍之刻、宗信相返敵追籠、依其防戦、同心両人・益田兄弟四人、遂討死之事」

永禄4年(1561年)には「西尾」の記述 ; 『今川氏真判物(永禄四年酉年六月十一日・稲垣重宗宛)』[13]に、「…殊子藤助、西尾走廻、父子励忠信条、…」

逆説の西尾市史―西尾城の変遷から

永田大典『逆説の西尾市史―西尾城の変遷から』(三河新報社、1999年)によると、「西尾城創建は一般的に、鎌倉時代前期の武士、足利義氏が承久の乱(1221年)の武功で三河守に任じられ、この地に築城したとされる。由来は『鶴城記』・『三州幡豆郡西尾城主由来記』などによる。

このほか、花山院忠邦が吉良山(八ツ面山)の麓にあった旧城を取り起こして築いたとする説(『西尾草創伝』)や源範頼がこの地に居城を築き、後に足利義氏が在城したとする説(『三河刪補松』)もある。だが、いずれの文献も後世の記述であり、信憑性に欠く」とされる。また「初期の西尾城の解明を阻んでいるのは、史料の不足にほかならない。ミッシングリング、失われた鎖の環があまりに多い」と指摘している。
脚注[脚注の使い方]^ “ ⇒西尾市の文化財 西尾城跡”. 西尾市. 2013年3月21日閲覧。
^西尾市歴史公園
^ 平井聖監修『 城 C 東海 天下人への夢を馳せる群雄の城』(毎日新聞社、1996年)
^ “西尾市資料館”. 西尾市役所. 2019年3月16日閲覧。
^今川義元判物写(三浦文書)』「弘治参年丁巳十月九日、就西尾在城参百貫文之分、所宛行之也」
^ 三河物語に、西尾の城にハ坂井(酒井)雅楽之助(正親)有て、と記載されている。
^ 『西尾市史』
^三河物語桶狭間の戦い後に、岡崎城に入城した徳川家康による三河国統一の過程で、「又有る時は、西尾の城を得」とある。その後、同書内の三河一向一揆の項目では、「西尾の城にハ坂井(酒井)雅楽之助(正親)有て」とある。
^ 『東照宮御実紀 巻二』には、「東條の吉良義昭今はまたく御敵となり。しばしば味方の兵と戦ひてやまざりしが。其弟荒川甲斐守頼持。兄弟の中よからねば御味方となり。酒井雅楽助正親を己が西尾の城に引入れしかば。吉良も終には利を失ひ味方に降参す。」とある。
^ 『家忠日記』(天正13年(1585年)2月5日の上)「惣国人足にて吉良之城つき上候」また、同日記に、「西尾城を守る」という記述もある。
^改正三河後風土記』永禄2年3月の直前に「吉良義昭、東條西條を兼領、義昭は西尾の城に居住し、東條を番手替りに守らせる」との記述がある。
^ 『静岡市史 中世近世史料2』所収、413-415頁(永禄3年(1560年)12月に、先の桶狭間の戦いで戦死の亡父・松井宗信の西条吉良氏攻めの武勲を賞する一文で)
^ 『新編岡崎市史6・史料編 古代中世』所収、「牧野文書」1055頁(永禄4年(1461年)に西尾城への家康軍来襲を防いだ嫡子稲垣藤助長茂を賞した文書中)

関連項目

東条城

刈谷城 - 徳川家康によって刈谷城の亀城に対して、西尾城は鶴城と名付けられたとされている。

西条園 (抹茶の店)

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西尾城跡 - 西尾市公式ウェブサイト

施設案内 西尾市歴史公園 - 西尾市公式ウェブサイト


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