境外末社 毎年1月10日前後の3日間で行われる十日えびす(戎)では、開門神事福男選び、大マグロの奉納、有馬温泉献湯式などの行事とともに、800軒を越える屋台が軒を連ね、開催三日間で百万人を超える参拝者で賑わう。 正式には「十日戎開門神事福男選び」と呼ばれる。1月10日午前4時から十日えびす大祭が執り行われ、午前6時に終わると同時に表大門が開かれ、参拝者が本殿までの230mを「走り参り」する。先着の3人が福男と認定される[4]。 西宮神社周辺では室町時代から江戸時代にかけて、1月9日夜は家から外出しない「忌籠」(いごもり、居籠)という習慣があった。その間に"えべっさん"が市中を廻られる。忌籠り明けの翌朝、身を清めて神社に詣でたことが始まりと考えられる。1905年(明治38年)、神社近くに阪神電気鉄道の西宮駅が開業すると、地元以外に大阪市や神戸市などからの参拝者が増え、開門を待ちわびるようになった。1913年(大正2年)の新聞には「先登第一の魁けをして」「先登者に対して夫々優遇を為し神符を与へたれば」といった記述があり、一番乗りを特別視する風潮が参拝者、神社双方に根付いたと考えられる。昭和初期に「福男競争」「福男レース」といった言葉が使われるようになった。この様に参拝客が勝手に始めた経緯があるため、この時点では神事としては扱われていなかったが、1989年(平成元年)は昭和天皇が崩御したことから、自粛ムードに配慮して「神事」と位置付けられた[5][6]。 日中戦争が始まっていた1940年(昭和15年)以降は、当時の新聞の戦意高揚記事と関連して、その年の一番福に褒美としてお守りやお供え物を授けたりしたという記録がある。それ以前は参拝者が思い思いに走ってお参りをしていたようで、1921年(大正10年)から17回一番乗りをしていた者もいたという[7]。 当日は未明から多数の人が表大門の前に集合し、午前6時の開門と共に230m先の本殿を目指して駆け出す。そして3着までにゴールした人間(待ち構えている神主に抱きつく事が条件になる)が、その年の福男となる。なお、福男といいながらこの祭事は男女混合であり、老若男女を問わず走る事が出来る。しかし、女性の一番福は未だに出現していない。参加者は毎年2000人以上で、特に2009年以降は約6000人が参加している。コースには3箇所のカーブ(天秤・楠両コーナー等)と本殿に駆け上がる木の坂(スリップ坂)が大きな障害としてあり、毎年のテレビ取材ではこの4箇所を中心に大小のカメラを設置している。開門時の押し合い・スタートダッシュの出来、猛スピードで駆け抜ける為カーブや最後の坂で転倒する者もおり、上手くスピードを制御出来た者が一番福?三番福の栄誉を獲得出来るといえる。 三番福までの賞品は以下の通り。 2008年(平成20年)からは福男法被、2011年(平成23年)からはヱビスビールが新たに加えられた。また開門前に待っている先着5000名には、開門神事参拝証が授与される。 福男選びは、新聞をはじめ、1997年(平成9年)に「おはようクジラ」(TBS)で初めてテレビで実況生中継されたり、「ブロードキャスター」(TBS)で特集を組まれたりするなどテレビニュースになっていたが、扱いはそれほど大きくなかった。しかし2004年(平成16年)、大阪市の消防署員による妨害が問題となり、規定が改正(後述)されてから、新春恒例の全国ニュースとして、各テレビ局(主にキー局並びに関西地方局)の報道・情報番組でも大きく取り上げられるようになった。中には午前6時に合わせて福男選びの実況生中継を恒例的に行なう朝の情報番組(「みのもんたの朝ズバッ!」2006年 - 2008、2011年・2013年、「やじうまプラス」2007年・2008年、「おはようコールABC」2007年・2008年、「ズームイン!!サタデー」2009年、「ズームイン!!SUPER」2011年、「めざましテレビ」2011年)なども出てきた。
住吉神社
西宮濱戎神社
六甲山神社
大國主西神社
南宮神社
兒社
十日えびす
日程
1月9日 - 宵えびす 有馬温泉献湯式 宵宮祭
1月10日 - 本えびす 十日えびす大祭 開門神事福男選び
1月11日 - 残り福
福男選び
起源
内容南宮神社前の天秤カーブ
一番福:認定書、木彫りのえびす様(大)・副賞 えべっさんのお米1俵(60kg分)・日本酒菰樽4斗(72?分)、ヱビスビール1年分、特製法被
二番福:認定書、木彫りのえびす様(小)・副賞 えべっさんのお米1俵(60kg分)、ヱビスビール半年分、特製法被
三番福:認定書、黄金のえびす様大黒様・副賞 八喜鯛、ヱビスビール3ヶ月分、特製法被
歴史
1946年(昭和21年)から3年間は、前年に神社が太平洋戦争下の空襲で焼失したため中断。
1965年(昭和40年) 場所取りを巡って乱闘が発生したため中止。1966年(昭和41年)と1967年(昭和42年)も中止。
1985年(昭和60年) 門を押す参拝者の熱気により5分前に開門してしまったが、そのまま有効となる。
1991年(平成3年) 15歳の中学3年生が一番福を獲得。記録が残っている限り最年少。
2004年(平成16年) 大阪市中央消防署の署員が一番福となったが、後日この男性が同僚とともに他の参加者を妨害したことがマスコミやインターネット上で話題になり、同僚達が妨害を認め謝罪し、一番福を返上(繰上げはなし)する騒動になった(本人からの謝罪は一切なかった)[8]。なお、この消防署員は同僚を数日前より門前に配し、後ろへの参加者には自前のくじを引かせていた[9]。一時は開門神事の中止も検討されたが、神社と氏子、参拝者が話し合って開門神事保存会が結成され、秩序維持に協力することとなった[10]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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