西宮神社
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社務所 - 阪神・淡路大震災で倒壊後、1998年平成10年)に再建される。内部には「えびす信仰資料展示室」がある。

西宮神社会館

神輿殿

えびすの森(兵庫県指定天然記念物

庭園

瑞寶橋(国登録有形文化財

嘉永橋(国登録有形文化財)


伊勢神宮遥拝所

御戎之鐘 - 慶長15年(1610年)に豊臣秀頼によって奉納された。

祈祷殿 - 2010年(平成22年)築。

神馬舎

六英堂 - 1977年(昭和52年)に神戸市布引から現在地に移築される。東京・丸の内にあった岩倉具視邸の一部で、岩倉具視、三條実美西郷隆盛大久保利通木戸孝允伊藤博文の六英傑が度々会合を行っていたことから名付けられた。1883年(明治16年)に岩倉が病臥中、明治天皇が行幸された部屋と伝えられる。

南門

大練塀(重要文化財) - 室町時代初期再建。全長247mの日本最古の築地塀。名古屋市熱田神宮の信長塀、京都市三十三間堂の太閤塀と共に日本三練塀の一つである。

表大門(赤門、重要文化財) - 慶長9年(1604年)に豊臣秀頼によって再建。

常夜燈型道標(西宮市指定有形文化財) - 寛政11年(1799年)の年号が入っている。西国街道山陽道の要衝であった証として「西宮大神宮 左 京都大坂 道」「右 兵庫はり満 道」と彫られている。


社務所

祈祷殿

表大門

南門

大練塀

摂末社

火産霊神社

百太夫神社

六甲山神社

大國主西神社 -
式内社

神明神社

松尾神社

市杵島神社

宇賀魂神社

庭津火神社

南宮神社 - 西宮神社の境内にあるが、廣田神社の境外摂社である。廣田神社の方角を向いている。

兒社 - 廣田神社の境外摂社・南宮神社の末社。


沖恵美酒神社

梅宮神社

境外末社

住吉神社

西宮濱戎神社



六甲山神社

大國主西神社

南宮神社

兒社

十日えびす

毎年1月10日前後の3日間で行われる十日えびす(戎)では、開門神事福男選び、大マグロの奉納、有馬温泉献湯式などの行事とともに、800軒を越える屋台が軒を連ね、開催三日間で百万人を超える参拝者で賑わう。
日程

1月9日 - 宵えびす 有馬温泉献湯式 宵宮祭

1月10日 - 本えびす 十日えびす大祭 開門神事福男選び

1月11日 - 残り福

福男選び

正式には「十日戎開門神事福男選び」と呼ばれる。1月10日午前4時から十日えびす大祭が執り行われ、午前6時に終わると同時に表大門が開かれ、参拝者が本殿までの230mを「走り参り」する。先着の3人が福男と認定される[4]
起源

西宮神社周辺では室町時代から江戸時代にかけて、1月9日夜は家から外出しない「忌籠」(いごもり、居籠)という習慣があった。その間に"えべっさん"が市中を廻られる。忌籠り明けの翌朝、身を清めて神社に詣でたことが始まりと考えられる。1905年明治38年)、神社近くに阪神電気鉄道西宮駅が開業すると、地元以外に大阪市神戸市などからの参拝者が増え、開門を待ちわびるようになった。1913年大正2年)の新聞には「先登第一の魁けをして」「先登者に対して夫々優遇を為し神符を与へたれば」といった記述があり、一番乗りを特別視する風潮が参拝者、神社双方に根付いたと考えられる。昭和初期に「福男競争」「福男レース」といった言葉が使われるようになった。この様に参拝客が勝手に始めた経緯があるため、この時点では神事としては扱われていなかったが、1989年平成元年)は昭和天皇が崩御したことから、自粛ムードに配慮して「神事」と位置付けられた[5][6]

日中戦争が始まっていた1940年(昭和15年)以降は、当時の新聞の戦意高揚記事と関連して、その年の一番福に褒美としてお守りやお供え物を授けたりしたという記録がある。それ以前は参拝者が思い思いに走ってお参りをしていたようで、1921年(大正10年)から17回一番乗りをしていた者もいたという[7]
内容南宮神社前の天秤カーブ

当日は未明から多数の人が表大門の前に集合し、午前6時の開門と共に230m先の本殿を目指して駆け出す。そして3着までにゴールした人間(待ち構えている神主に抱きつく事が条件になる)が、その年の福男となる。なお、福男といいながらこの祭事は男女混合であり、老若男女を問わず走る事が出来る。しかし、女性の一番福は未だに出現していない。参加者は毎年2000人以上で、特に2009年以降は約6000人が参加している。コースには3箇所のカーブ(天秤・楠両コーナー等)と本殿に駆け上がる木の坂(スリップ坂)が大きな障害としてあり、毎年のテレビ取材ではこの4箇所を中心に大小のカメラを設置している。開門時の押し合い・スタートダッシュの出来、猛スピードで駆け抜ける為カーブや最後の坂で転倒する者もおり、上手くスピードを制御出来た者が一番福?三番福の栄誉を獲得出来るといえる。

三番福までの賞品は以下の通り。

一番福:認定書、木彫りのえびす様(大)・副賞 えべっさんのお米1俵(60kg分)・日本酒菰樽4斗(72?分)、ヱビスビール1年分、特製法被

二番福:認定書、木彫りのえびす様(小)・副賞 えべっさんのお米1俵(60kg分)、ヱビスビール半年分、特製法被

三番福:認定書、黄金のえびす様大黒様・副賞 八喜鯛、ヱビスビール3ヶ月分、特製法被

2008年(平成20年)からは福男法被、2011年(平成23年)からはヱビスビールが新たに加えられた。また開門前に待っている先着5000名には、開門神事参拝証が授与される。

福男選びは、新聞をはじめ、1997年(平成9年)に「おはようクジラ」(TBS)で初めてテレビで実況生中継されたり、「ブロードキャスター」(TBS)で特集を組まれたりするなどテレビニュースになっていたが、扱いはそれほど大きくなかった。しかし2004年(平成16年)、大阪市の消防署員による妨害が問題となり、規定が改正(後述)されてから、新春恒例の全国ニュースとして、各テレビ局(主にキー局並びに関西地方局)の報道・情報番組でも大きく取り上げられるようになった。中には午前6時に合わせて福男選びの実況生中継を恒例的に行なう朝の情報番組(「みのもんたの朝ズバッ!」2006年 - 2008、2011年・2013年、「やじうまプラス」2007年・2008年、「おはようコールABC」2007年・2008年、「ズームイン!!サタデー」2009年、「ズームイン!!SUPER」2011年、「めざましテレビ」2011年)なども出てきた。
歴史

1946年(昭和21年)から3年間は、前年に神社が太平洋戦争下の空襲で焼失したため中断。

1965年(昭和40年) 場所取りを巡って乱闘が発生したため中止。1966年(昭和41年)と1967年(昭和42年)も中止。

1985年(昭和60年) 門を押す参拝者の熱気により5分前に開門してしまったが、そのまま有効となる。

1991年(平成3年) 15歳の中学3年生が一番福を獲得。記録が残っている限り最年少。

2004年(平成16年) 大阪市中央消防署の署員が一番福となったが、後日この男性が同僚とともに他の参加者を妨害したことがマスコミやインターネット上で話題になり、同僚達が妨害を認め謝罪し、一番福を返上(繰上げはなし)する騒動になった(本人からの謝罪は一切なかった)[8]。なお、この消防署員は同僚を数日前より門前に配し、後ろへの参加者には自前のくじを引かせていた[9]。一時は開門神事の中止も検討されたが、神社と氏子、参拝者が話し合って開門神事保存会が結成され、秩序維持に協力することとなった[10]


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