?遂良
[Wikipedia|▼Menu]
『枯樹賦』は、?信が作ったで、?遂良の書のそれは、古くは徐浩の『古迹記』に見える。この『古迹記』の文や書風から見て、遂良のものであると推定されている。

現行の帖によると、末尾に「貞観四年十月八日為燕国公書」とあるだけで、書者の名が示されていない。またその真跡は現存せず、『戯鴻堂帖』・『聴雨楼帖』・『玉煙堂帖』・『鄰蘇園帖』などの集帖にその翻刻を見るのみである。楊守敬は集帖にあるものでは『聴雨楼帖』が最佳であるとしている[1][4][5]
文皇哀冊

唐の太宗の崩御を悼んだ文で、署名はないが、貞観23年(649年)の遂良の書とされている。書体は楷書である。哀冊とは、皇帝の葬儀のとき、中書令が読む弔辞なので、太宗の喪礼(そうれい)のとき中書令であった遂良の自作の哀冊文とされている。この文は、『唐文粋』・『文苑英華』・『唐大詔令集』に収録されているが、それら各々の間にも字句の異同があり、また現存の法帖との間にも異同がある。単に転写の際の誤りのみでなく、改稿したものがそれぞれに伝わったためと思われる。

の有名な評論家、王世貞はこの真跡本を入手して跋を書いており、その跋文によると、薛紹彭などの題識があり、また、米友仁の跋もあって、「遂良の真跡にあやまりなし」と断じている。この真跡本は今は失われているが、その刻本は早くから行なわれ、『戯鴻堂帖』・『鬱岡斎帖』・『秀餐軒帖』・『鄰蘇園帖』などの集帖に刻されている[6][7]
倪寛賛

古来、遂良の真跡であるといわれていたが、書中に彼が仕えた太宗・高宗の諱字を避諱していないほか、種々の点で南宋の模本と推定されている。台北・故宮博物館に現存し、書品は虞世南の『孔子廟堂碑』にせまる優品の楷書である。『鬱岡斎帖』・『三希堂法帖』に刻されている[3][7][8] ?遂良『倪寛賛』、国立故宮博物院蔵。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d 木村卜堂 PP..143-145
^ a b 西林昭一 P.59
^ a b c 木村卜堂 PP..146-147
^ 書道辞典 P.41
^ 書道全集 P.158
^ 木村卜堂 PP..145-146
^ a b 西林昭一 P.65
^ 書道辞典 P.40

伝記

旧唐書』巻八十 列伝第三十「?遂良伝」

新唐書』巻一百五 列伝第三十「?遂良伝」

出典・参考資料

西川寧ほか 「書道辞典」(『書道講座』第8巻 二玄社、1969年7月)

木村卜堂日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)

西林昭一・鶴田一雄 「隋・唐」(『ヴィジュアル書芸術全集』第6巻 雄山閣、1993年8月)ISBN 4-639-01036-2

「中国8 唐U」(『書道全集』第8巻 平凡社、1971年5月)

鈴木洋保・弓野隆之・菅野智明 『中国書人名鑑』(二玄社、2007年10月)ISBN 978-4-544-01078-7

比田井南谷 『中国書道史事典』(雄山閣、1996年2月)ISBN 4-639-00673-X

関連項目

馬周

初唐の三大家欧陽詢虞世南

中国の書道史

中国の書家一覧

典拠管理データベース
全般

FAST

ISNI

VIAF

2

3


WorldCat

国立図書館

ドイツ

イスラエル

アメリカ

スウェーデン

ラトビア

日本

オーストラリア

韓国

オランダ

学術データベース

CiNii Books

CiNii Research

芸術家

ULAN

人物

Trove(オーストラリア)

1


その他

IdRef


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:22 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef