現行の帖によると、末尾に「貞観四年十月八日為燕国公書」とあるだけで、書者の名が示されていない。またその真跡は現存せず、『戯鴻堂帖』・『聴雨楼帖』・『玉煙堂帖』・『鄰蘇園帖』などの集帖にその翻刻を見るのみである。楊守敬は集帖にあるものでは『聴雨楼帖』が最佳であるとしている[1][4][5]。 唐の太宗の崩御を悼んだ文で、署名はないが、貞観23年(649年)の遂良の書とされている。書体は楷書である。哀冊とは、皇帝の葬儀のとき、中書令が読む弔辞なので、太宗の喪礼(そうれい)のとき中書令であった遂良の自作の哀冊文とされている。この文は、『唐文粋
文皇哀冊
明の有名な評論家、王世貞はこの真跡本を入手して跋を書いており、その跋文によると、薛紹彭などの題識があり、また、米友仁の跋もあって、「遂良の真跡にあやまりなし」と断じている。この真跡本は今は失われているが、その刻本は早くから行なわれ、『戯鴻堂帖』・『鬱岡斎帖』・『秀餐軒帖』・『鄰蘇園帖』などの集帖に刻されている[6][7]。 古来、遂良の真跡であるといわれていたが、書中に彼が仕えた太宗・高宗の諱字を避諱していないほか、種々の点で南宋の模本と推定されている。台北・故宮博物館に現存し、書品は虞世南の『孔子廟堂碑』にせまる優品の楷書である。『鬱岡斎帖』・『三希堂法帖』に刻されている[3][7][8]。 ?遂良『倪寛賛』、国立故宮博物院蔵。
倪寛賛
脚注[脚注の使い方]^ a b c d 木村卜堂 PP..143-145
^ a b 西林昭一 P.59
^ a b c 木村卜堂 PP..146-147
^ 書道辞典 P.41
^ 書道全集 P.158
^ 木村卜堂 PP..145-146
^ a b 西林昭一 P.65
^ 書道辞典 P.40
伝記
『旧唐書』巻八十 列伝第三十「?遂良伝」
『新唐書』巻一百五 列伝第三十「?遂良伝」
出典・参考資料
西川寧ほか 「書道辞典」(『書道講座』第8巻 二玄社、1969年7月)
木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)
西林昭一・鶴田一雄 「隋・唐」(『ヴィジュアル書芸術全集』第6巻 雄山閣、1993年8月)ISBN 4-639-01036-2
「中国8 唐U」(『書道全集』第8巻 平凡社、1971年5月)
鈴木洋保・弓野隆之・菅野智明 『中国書人名鑑』(二玄社、2007年10月)ISBN 978-4-544-01078-7
比田井南谷 『中国書道史事典』(雄山閣、1996年2月)ISBN 4-639-00673-X
関連項目
馬周
初唐の三大家(欧陽詢、虞世南)
中国の書道史
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