褒章を授与される理由の事績を残した者が団体である場合には、自然人ではない団体がメダルを着けることはできないので、受章者名を法人・団体とした賞状「褒状」が授与される。褒状には各褒章と同様に授与の理由が記されているが、頭書には「緑綬」「紫綬」等の区分は冠されずすべて単に「褒状」となる。
賞杯「賞杯」を参照
褒章を授与する者に褒章と併せて賞杯を授与することがある(褒章条例5条)。特に、紺綬褒章に併せて授与する木杯については、授与の基準が公表されている。
銀杯(桐紋)
木杯(一組台付・桐紋)
遺族追賞遺族追賞による褒状(寺崎乙治郎の遺族に対する褒状)
褒章(紺綬褒章を除く)の授章対象者が死亡した場合は、遺族へ銀杯か木杯か褒状が授与される。これを遺族追賞という。
叙勲対象者でもあるときは、遺族追賞ではなく死亡叙勲が行われることとなる。
根拠法令
日本国憲法第7条7号(栄典の授与が天皇の国事行為と定められている)
明治十四年太政官布告第六十三号(褒章条例)[34]
褒章条例取扱手続(明治27年閣令第1号)[35]
勲章、記章、褒章等の授与及び伝達式例(昭和38年7月12日閣議決定)[5]
褒章の制式及び形状を定める内閣府令(平成15年5月1日内閣府令第55号)[36]
なお、褒章について定めた法律は存在しない。1952年(昭和27年)、褒章を含め栄典に関する事項は法律で定めるべきとの解釈の下、栄典法案が国会に提出されたことがあったが成立しなかった。そのため政府は褒章条例を政令により改正することで戦後の褒章制度の整備をするに至った。 栄典を所管するのは内閣府であり、事務執行機関として賞勲局が置かれている。元は1876年(明治9年)、太政官に新設された賞勲局が始まりであり初代長官には伊藤博文が就任、代々三条実美や西園寺公望らがトップに就く要職であった。戦後は総理府の一部局となった。 褒章の選考手続きについては各都道府県・各関係団体から具申を受けた各省庁大臣が賞勲局へ褒章候補者を推薦し、慎重な審査の上、閣議に請議されて決定されている。 その他、都道府県では知事による表彰として褒賞を授与する制度があるが、一般にこれを知事褒章と通称することがある。特に東京都では、東京都知事表彰として、功労ある消防団員に対する消防褒賞があり記念章が授与されることから、しばしば公私を問わずこれらを知事褒章、消防褒章と通称されることが多い。ただし、それら都道府県の「褒章」は正確には「褒章」ではなく「褒賞」であり、その位置付けは国の栄典ではなく東京都の表彰である。授与される記章も記念章であり、国の褒章とは異なる。
関係官庁
その他の褒賞
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 例:君塚(記章説)と小川(勲章説)の著書における扱い。
^ 2003年(平成15年)の栄典制度改革の前には、褒章は内閣の名で授与されたため、褒章の記には内閣の印が捺された。
^ 章の種印は1881年に後藤半左衛門光正が製作した[6][7]。
^ 1881年(明治14年)の創設時は「自己ノ危難ヲ顧ミス人命ヲ救助セシ者」とされた。
^ なお、救助活動を行っても、力及ばず要救助者が落命した場合には授与されない。また、警察官、自衛官、消防吏員などの公務執行中の行為についても授与されない。彼らは「危険業務従事者叙勲」の対象になる。
^ 内柴事件が原因で2014年(平成26年)5月10日付で褫奪された(2014年(平成26年)7月30日付『官報』6342号9頁)。
^ 「公益を目的とし、法人格を有し、公益の増進に著しく寄与する事業を行う団体であって、当該団体に関係の深い府省等の申請に基づき賞勲局が認定した団体」と定義され[27]、その一覧はウェブ上でも公開されている[28]。
^ 例えば日本赤十字社や日本水難救済会では、寄付に対する表彰として、500万円以上を寄付した個人や1000万円以上を寄付した団体へは紺綬褒章(褒状)を授与するよう、国に申請することを告知している[29][30]。