装甲巡洋艦
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注釈^ 第十 防護巡洋艦の構造能力任務[2] 防護巡洋艦構造の要義は中程度の攻撃兼自衛力と高速力とを有し敵彈に對する防禦は極小程度に止まらしめるにある詳言すれば攻撃力たる砲熕は敵の戰艦或は装甲巡洋艦に敵する爲ではなく敵の小巡洋艦以下驅逐艦、水雷艇等を攻撃する位ひの強さを有せしめ魚形水雷は敵の戰艦装甲巡洋艦等の強敵に迫まられたときの如きに窮鼠却つて猫を?む的に發射することもあり或は小巡洋艦に對して發射することもあるが搭載數は餘り多くない 武力の小なる代はり速力は成るべく高大ならしめるのが必要條件であるから推進機關はなか?強力なるものを選ぶのを例とする 防禦力は洵に微弱であつて何れの要部にも装甲鈑がない 但だ防水區劃が數多くあるのと艦内に於て水準線に當る部の甲板が較や厚き鋼鐵で遮られ兩舷側及艦の首尾に於て下方へ斜めになつて居ることも恰も亀の甲の如くである 即ち水準下に在る機關室、彈藥庫等を防護する目的であつて此甲板を防禦甲板(プロテクチーヴデッキ)と稱へ是れあるが爲に防護巡洋艦の名を獲たのである
 左れば防護巡洋艦は装甲巡洋艦より小なる非装甲巡洋艦の謂であつて船體の各部何れも比較的軽薄材料にて製つてあるから排水量は大きくない、其能力上述の通りであるから無論主戰艦隊の幹部となる事はできず偵察通信、水雷艦載艇撃攘、運送船の撃破、海上通称破壊等の任務に服するを本職とする
^ 第九 装甲巡洋艦の構造能力任務[3] 装甲巡洋艦構造の要義は鋭利なる攻撃力と急速航行の自由を有せしめ而かも敵彈の迫害を蒙るを免れしめん爲に相當の防禦を施すにある詳言すれば攻撃力たる砲熕及魚形水雷は戰艦に次くの強勢を有せしめ其上に速力を出來得る丈け高大ならしめる、防禦力としては戰艦に次くの厚い装甲鈑を舷側の水線部、砲塔、司令塔其他の要部に装着する又高大なる速力を發揮せしめる爲には推進機關及蒸汽罐の著しく強大なるへきこと勿論で石炭の貯藏亦極めて多くなくてはならぬから装甲巡洋艦の船體の重大なることは戰艦と相伯仲する程である
 故に戰爭に際しては戰艦と伍して主戰艦隊に編制せられ或は装甲巡洋艦のみの隊を編し高速力を利用して敵艦隊に對して砲火の集中に有利なる位置を占め或は戰ひ疲れて逃遁する敵艦を追撃する等を本務とし又は防護艦隊が附いて居る輸送船隊を撃沈し或は強行偵察に從事する等武力と速力の高大とを併せ要する任務には最も適當なる艦種である。
^ 巡洋戰艦附装甲巡洋艦[5] 過去二十五年間の期間に於て我海軍にて建造されました巡洋戰艦と名のつく艦は四隻一一〇,〇〇〇噸馬力二五六,〇〇〇 装甲巡洋艦と云はれて居りますのが十二隻一二九,二四一噸馬力二二七,七五〇(此中に日進、春日を含んで居ります)であります。
一體巡洋戰艦と云ふ語は合の子の語でありまして英國海軍に於て「ドレッドノート」に次で「インフレッキシブル」級と申して艦種は弩級に属し同時に速力二十五節と云ふ快速の装甲巡洋艦を造りました頃から用いられた語でありまして戰艦の攻撃力と巡洋艦の速力とを併有する艦と云ふたのであります 其の意味から申しますると我海軍の筑波生駒は蓋し巡洋戰艦の元祖であります 唯其時代には左様云ふ語が使はれなかったと云ふ丈であります 此巡洋戰艦と云ふものも元々装甲巡洋艦の一種でありますから茲には便宜上装甲巡洋艦と一緒に御話致します。(以下略)
^ a b (12)日露戰役の影響[6] 日本は清國海軍を殲滅したる以後は、俄に歐洲三大國を敵とするに至り、上記の如き戰艦六隻、装甲巡洋艦六隻の建造を急ぎ、何れもその性能に於て歐洲各國のものに比し、船體兵器機關の何れかに於て優秀なるものを建造し、日清戰爭後十年にして終に露國と干戈相見ゆるに至つた。即ち我が國は再度最新鋭軍艦の實戰成果を示すことゝなりたる次第である。その日露海戰の教訓は十年前の日清海戰と同様に砲力の増大と同時に防禦力を大にし速力を増加することを必要と認めた。その結果として主力艦はその主砲の威力を増し、中間砲の口徑を大にし6吋砲を10吋砲と代へ、更に進んで主砲と同一ならしめ所謂備砲單一式に進み、英國に於てこの型の第一艦ドレッドノート號が建造され、こゝに弩級戰艦なるもの出現したり。この艦型に至る過程には、我が國の戰艦薩摩級が中間砲を10吋砲としたるにヒントを得たり、とは當時英國軍令部長の話である。
 巡洋艦も同一要望により、装甲巡洋艦はその防禦を強化すると同時に、主砲を戰艦と同口徑とし、唯その數を減じ速力は元通り戰艦より優速とし、所謂巡洋戰艦なるもの出現したり。我が國にて日露戰役中建造に着手したる筑波生駒姉妹艦二隻は即ちこの巡洋戰艦の嚆矢である。のみならずこの二艦は艦首の衝角ラムを廢止し水線上を水切り型となす。この艦首の形は夫れ以降我が國は勿論諸外國も總てこれに倣ふことゝとなつた。(以下略)
^ a b c (14)巡洋戰艦[7] 巡洋戰艦は砲力と速力と何れも相當に大なるを要望され出現したるものにして、各國海軍に於て採用せられ、我が國にても大正二年(1913)に竣工したる金剛は當時の精鋭艦にして英國のタイガー級に匹敵す、その姉妹艦比叡・榛名・霧島亦同型である。英國にては1910年竣工のライオン級は排水量26,500噸、主砲13.5吋、速力28節に達し、現存するフード號は1918年に竣工しこれより著しく大型となり、排水量41,200噸主砲は15吋砲8門速力31節に達す。/ 我が國にては現在は巡洋戰艦なる名稱を廢しこれを戰艦の内に併合した。/ 尚、装甲巡洋艦なるものは、砲力に於ても速力に於ても主力艦に比し著しく弱小なれば、寧ろ或目的には無装甲のもの適當なりとの見地より、各國ともこれを廢止することゝなつた。
^ 日本では巡洋戦艦に再類別されたグループを除くと、浅間型装甲巡洋艦及び戦利艦である阿蘇を除き、純然たる後継者となる古鷹型重巡洋艦と短期間ながら同じ一等巡洋艦として併存している。イギリスやアメリカも同様であった(特にアメリカは最終的に巡洋戦艦を保有していない)。
^ (11)日清戰役の影響[13] 明治二十七年(1894年)日清戰役の頃先進海軍國たる英國主力艦は上記露砲座艦であつて、主砲の砲塔は艦の前後に一基宛置かれた。前後の檣には上下に二ヶ所の相當大なる檣樓が設けられ小口徑の砲を備へ又探照燈を有し見張りの用を爲す所となつてゐる。舷側には魚雷防禦のために金網を張る装置が付けられ、その網と支柱とが備へられた。この當時の主力艦は排水量10,000噸以上で速力は17節位であつた。
 然るに實際に輸贏を爭つた日本と清國には當時斯くの如く進歩したる軍艦無く、我が日本には舊式ケースメート艦扶桑一隻が装甲艦であつたが、その他は總て装甲せられざる巡洋艦及び砲艦と呼ばれるものだけであつた。清國には中央砲廓艦に属する定遠鎭遠の姉妹艦二隻ありて、大に日本を威嚇したのである。然るに戰役の結果は日本巡洋艦の速力大なりしと、備砲に速射砲多く且つ無煙火藥を採用したるため全く日本海軍の大勝利となつた。而して日清兩國海戰の教訓の主なるものは次の通りである。
一 主力艦の防禦はこれを厚くして船體兵器等主要部を一括して防禦すること。/二 艦の速力を増大すること。装甲したる主力艦は兎も角として巡洋艦は20節以上を要す。/三 艦内火災に對し十分に防護すること。/四 魚形水雷の威力大なるを實證し、これを装備する輕快なる水雷艇は大いに活用する價値あり。
 この實戰の教訓によりて海軍國一般に建造せられたるものは、主力艦としては排水量15,000噸内外、主砲は口徑12吋砲4門、副砲は6吋砲10門乃至12門、速力は18乃至19節を有するものであつた。我が國の戰艦富士以降の六隻もこの標準に據つたものである。巡洋艦としては艦内主要部を防禦甲板に依つて保護する上に、更に舷側に主力艦の如く装甲鐵を張りて防禦を増大し、排水量7,500噸内外にして速力は當時の主力艦よりも約3節大なるものであつて名づけて装甲巡洋艦(Armored cruiser) と呼ばれた。我が國の淺間級六隻は即ちこの型である。(以下略)
^ 第三節 装甲巡洋艦[17] 凡そ一國海軍力の眞相を知らんと欲せは戰闘艦隊の主力たる戰艦及ひ装甲巡洋艦の勢力の調査に依り始めて窺ひ得へきは近世の定則とも謂ふべく而して海戰場裏に龍驤虎嘯の活劇を演する者は主力中の主力ともいふへき戰艦なる事勿論なれども戰酣はなるに當り我一部隊を急遽優秀の位置に馳せて敵戰艦隊の狭正面に一時に放火を集中せしめんとし或は戰闘の終期に近づき敵戰艦の痛手を受けて遁逃せる者を追撃して止めを刺さんとする如き特別高速力を要求する任務に應ぜんには特種の部隊なかるべからす装甲巡洋艦の重要視せらるゝは即ち是れに依るものして其他の場合には或は戰艦隊と合同して砲戰に從事し或は專ら敵の装甲巡洋艦に當り若しくは運送船保護の巡洋艦を撃破し又は他方面に分遣して我貿易破壊に從事する巡洋艦を撃攘する等の任務に就く事あり是故に其攻撃防禦の兩力は戰艦に類似し速力に至ては大に之に優るの天性を賦せざる可からず今や列強中幾んと此種巡洋艦を有せざるものなく新案に新案を出して益々有力なるものを建造するに至れり我邦に於ける最初の装甲巡洋艦淺間常磐型六隻は戰役中多大の効果を収めたりと雖とも今は漸次舊式に属する事となり戰後竣工又は進水せる筑波生駒鞍馬伊吹の四隻は上述目的に適する良装甲巡洋艦として列強の耳目を惹く所なり然るに英國は最近に於て意外なる大型艦を現出し戰艦的巡洋艦の奇稱をすら獲るに至れり即ちインヴインシブル型の三艦にして一萬七千餘噸の排水量を算し速力二十五節を示せるは驚くべき發展といふべく装甲兵装とも殆ど大戰艦に譲らざるの概あり爾来列強亦之に劣らざる大巡洋艦を建造するの趨勢を生せるが故に今左に新巡洋艦の概要を掲く 列強戰艦的バトルシップ巡洋艦クルーザー一覧(英國政府の調査發表したるものに基く)(艦名、性能表略)
^ 日本海海戦時、東郷長官直率の第一艦隊主力艦は戦艦4隻(三笠朝日敷島富士)と装甲巡洋艦2隻(春日日進)だった[19]
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