現在の都道413号線が国道246号 (青山通り)と交差する表参道交差点から、原宿駅前付近の神宮橋交差点までの全長約1.1キロメートルの区間を指す(Google マップ)[† 6]。明治神宮の造営にあわせて1919年に完成したこの通りは街路樹のケヤキ並木でも知られ、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつに選定されている[6]。
現在の道路形状は、幅員36mで中央分離帯が備わり、片側2車線・往復4車線で、両側の歩道寄りには時間制限駐車区間が設けられている。歩道にはケヤキによる街路樹が備わっている。通りには、終点である原宿駅前を含めて、3本の歩道橋が設置されている。
並木通りとしての表参道の街路樹であるケヤキ(欅)は、通りの左右に一列ずつ、現在は合計で163本が生育している[7]。大正時代に植えられた元もとのケヤキは、アメリカ軍による東京大空襲によって1945年に大部分が焼失、現在生育しているケヤキの大部分は1950年頃に植えなおされたものである[7]。ただし、表参道ヒルズ前などの合計11本は戦火に耐えた樹木であり、樹齢90年を超えているものもある[7]。初代のケヤキについては、現地に解説板が備わっている。2020年には「表参道ケヤキ並木道」が土木学会選奨土木遺産に選ばれる[8]。
通りは台地上にある起点・終点に対して、中央部の都道305号 (明治通り)や渋谷区道キャットストリートが谷底となる形状になっている。最も標高が高いのは起点である青山通りの交差点付近で海抜35メートル、谷底であるキャットストリート付近は同20mである[7]。道路建設の際には、谷底である渋谷川(穏田川)両岸の自然地形に一定の斜度で坂が造られたため、切り通しなどが諸所にあり、土留には石垣が用いられた。 クリスチャン・ディオール表参道店
表参道は冬至の朝、明治神宮から起点の青山通りの交差点方向に向かって、道路の延長線上から真直ぐ太陽が昇る設計になっている[7]。
歴史表参道は明治神宮の参道として整備された表参道ヒルズ
明治神宮創建にあたり、社殿地北側が馬車道で外苑と直接接続していたことから、当初予定ではこの馬車道が「表参道」となり、その終点が神宮の正鳥居になる予定であった。しかし、正鳥居が本殿から見て鬼門にあたる東北にあたることから正鳥居が現在の南西側に変更され、その正面にあたる街地が、神宮の「表参道」として整備されることになった(なお、馬車道はその後、首都高速道路の一部に変わったためになくなった[9])。計画段階では、外苑正面に直接到達するようにカーブしていたが、既存の道路の活用などを考慮した結果、直進する道路に変更され、外苑に道なりに到達するには、青山通りとの交差点で左折することになった[10]。
神宮創建前年の1919年(大正8年)、東京市によって整備された。翌1920年(大正9年)、東京市電の走っていた青山通りと明治神宮を結ぶ路線バス、「表参道バス」の運行が開始された[11]。さらにその翌年になってケヤキの若木200本が植樹された[7]。
1927年(昭和2年)には同潤会渋谷アパート(後に青山アパートと改称)が、沿道北側の穏田地区に建設された。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって表参道付近も甚大な被害を受け、周囲の建物とともに表参道のケヤキの大部分も焼失した[7]。
日本の敗戦後、占領軍であるアメリカ軍が明治神宮に隣接する代々木公園に軍施設、ワシントンハイツを建設、これを機に沿道にはアメリカ人向けの店ができはじめた。1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発すると日本はアメリカ軍の中継地となり、これらの店は益々繁盛するようになった[11]。