表参道_(原宿)
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1990年代、渋谷系というサブカルチャー色の強い音楽ジャンルがもてはやされたTOWER RECORDのある 神南エリア辺りまでを含めて神宮前からアパレル関連業者が集まる同区千駄ヶ谷に至る、原宿周辺界隈の服飾洋品店が集まっている一帯。そのなかで、特に表参道中心寄りの「原宿通り」や「渋谷川遊歩道(通称:キャットストリート)」の南北に伸びたエリア周辺を指す。代々木公園は、大道芸人パフォーマンスアーティスト、若い世代のコスプレ愛好家に人気のスポット。公共放送NHKの本部(放送センター)には、交響楽団の定期演奏会が開かれるNHKホール、文化的な展示やテレビの表彰プログラムに使用されるスタジオパークがある。 神南エリアには有名セレクトショップやブランドの路面店が集積している。
代官山
洗練系オシャレ」(落ち着いた意識高い系清楚オシャレ)文化発信地。渋谷区の中では表参道などに次ぐファッションエリアであり、旧山手通り沿いには飲食店が立ち並ぶ。また、高級住宅街でもある。
渋谷
若者IT」文化発信地。IT企業の中でも若者が多く活躍するGoogle日本法人があり、2020年に起きたCovid-19以降、メタバース上の仮想現実で日本一番有名なカルチャー街を真っ先に作り上げた場所でもある(ハロウィン渋谷などが有名)繁華街である道玄坂桜丘町などの地域を含む。街の中心に位置する渋谷駅山手線南西部のターミナル駅であり、新宿駅に次ぐ世界2位の利用者数を誇る(直通人員を含める)[4]東急東急不動産を中心とした東急グループの拠点であり、商業活動が活発である。また、港区の六本木などともにIT企業が集積している地区としても知られる[5]。近年は東急グループが主導の再開発により、渋谷の高層ビル化とオフィス機能を併設した複合商業ビルの建設が進んでいる。渋谷駅ハチ公口(スクランブル交差点)側に百貨店やファッション専門店、飲食店カフェなどが密集しており、公園通り渋谷センター街道玄坂スペイン坂には大小の店舗が並び、SHIBUYA 109など大型商業施設が存在する。
通り(参道)としての表参道東京都道413号赤坂杉並線」も参照

現在の都道413号線国道246号 (青山通り)と交差する表参道交差点から、原宿駅前付近の神宮橋交差点までの全長約1.1キロメートルの区間を指す(Google マップ)[† 6]明治神宮の造営にあわせて1919年に完成したこの通りは街路樹ケヤキ並木でも知られ、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつに選定されている[6]

現在の道路形状は、幅員36m中央分離帯が備わり、片側2車線・往復4車線で、両側の歩道寄りには時間制限駐車区間が設けられている。歩道にはケヤキによる街路樹が備わっている。通りには、終点である原宿駅前を含めて、3本の歩道橋が設置されている。

並木通りとしての表参道の街路樹であるケヤキ(欅)は、通りの左右に一列ずつ、現在は合計で163本が生育している[7]大正時代に植えられた元もとのケヤキは、アメリカ軍による東京大空襲によって1945年に大部分が焼失、現在生育しているケヤキの大部分は1950年頃に植えなおされたものである[7]。ただし、表参道ヒルズ前などの合計11本は戦火に耐えた樹木であり、樹齢90年を超えているものもある[7]。初代のケヤキについては、現地に解説板が備わっている。2020年には「表参道ケヤキ並木道」が土木学会選奨土木遺産に選ばれる[8]

通りは台地上にある起点・終点に対して、中央部の都道305号 (明治通り)や渋谷区道キャットストリートが谷底となる形状になっている。最も標高が高いのは起点である青山通りの交差点付近で海抜35メートル、谷底であるキャットストリート付近は同20mである[7]。道路建設の際には、谷底である渋谷川穏田川)両岸の自然地形に一定の斜度で坂が造られたため、切り通しなどが諸所にあり、土留には石垣が用いられた。 クリスチャン・ディオール表参道店

表参道は冬至の朝、明治神宮から起点の青山通りの交差点方向に向かって、道路の延長線上から真直ぐ太陽が昇る設計になっている[7]
歴史表参道は明治神宮の参道として整備された表参道ヒルズ

明治神宮創建にあたり、社殿地北側が馬車道で外苑と直接接続していたことから、当初予定ではこの馬車道が「表参道」となり、その終点が神宮の正鳥居になる予定であった。しかし、正鳥居が本殿から見て鬼門にあたる東北にあたることから正鳥居が現在の南西側に変更され、その正面にあたる街地が、神宮の「表参道」として整備されることになった(なお、馬車道はその後、首都高速道路の一部に変わったためになくなった[9])。計画段階では、外苑正面に直接到達するようにカーブしていたが、既存の道路の活用などを考慮した結果、直進する道路に変更され、外苑に道なりに到達するには、青山通りとの交差点で左折することになった[10]

神宮創建前年の1919年大正8年)、東京市によって整備された。翌1920年(大正9年)、東京市電の走っていた青山通りと明治神宮を結ぶ路線バス、「表参道バス」の運行が開始された[11]。さらにその翌年になってケヤキの若木200本が植樹された[7]

1927年昭和2年)には同潤会渋谷アパート(後に青山アパートと改称)が、沿道北側の穏田地区に建設された。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって表参道付近も甚大な被害を受け、周囲の建物とともに表参道のケヤキの大部分も焼失した[7]

日本の敗戦後、占領軍であるアメリカ軍が明治神宮に隣接する代々木公園に軍施設、ワシントンハイツを建設、これを機に沿道にはアメリカ人向けの店ができはじめた。1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発すると日本はアメリカ軍の中継地となり、これらの店は益々繁盛するようになった[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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