衆議院議長
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注釈^ 衆議院議員と同じ任期。任期中に衆議院解散なしで最長4年。
^ ただし山崎は帝国議会時代最後の議長である。戦前の政治では議長の地位は今よりも低く、貴衆両院議長の宮中席次は第12位で首相や元老はもちろん陸海軍大将や枢密顧問官よりも下であった。
^ 大野伴睦:1953年(昭和28年)3月14日議長退任・1954年(昭和29年)1月14日北海道開発庁長官就任・1957年(昭和32年)7月自民党副総裁就任・1964年(昭和39年)5月29日自民党副総裁退任・1960年(昭和35年)自民党総裁選挙出馬、松永東:1955年(昭和30年)1月24日議長退任・1957年(昭和32年)7月10日文部大臣就任・1958年(昭和33年)6月12日文部大臣退任、益谷秀次:1958年(昭和33年)4月25日議長退任・1959年(昭和34年)1月自民党総務会長就任・1959年(昭和34年)6月総務会長退任・1959年(昭和34年)6月18日副総理就任・1960年(昭和35年)7月自民党幹事長就任・1961年(昭和36年)7月自民党幹事長退任、中村梅吉:1973年(昭和48年)5月29日議長退任・1973年(昭和48年)11月25日法務大臣就任・1974年(昭和49年)11月11日法務大臣退任、船田中:1972年(昭和47年)11月13日議長退任・1977年(昭和52年)11月自民党副総裁就任・1978年(昭和53年)12月自民党副総裁退任。
^ 改選後、最初に開かれる国会では事務総長が議長席に座り、「これより会議を開きます。国会法第7条によりまして、議長および副議長が選挙されるまで私が議長の職務を行ないます」と発言する。通常は議長とともに議長席後側の扉から入るが、この時に限り、他の国会職員と同様、端の扉から入る。
^ 投票用紙に被選人の氏名を記載し、木札の名刺(白色)を添えて投票する。副議長の選挙の場合も同様。
^ 無効票がある場合、「投票中、白票が○○票あります。これは当然無効であります。」と発言し、投票の結果で最後に「他に、無効○○」と発言する。
^ 副議長の場合は「右の結果、○○君が副議長に当選されました。」と宣言し、そのあと、事務総長が「この際、ただいまご当選になられました議長および副議長をご紹介いたしたいと思います。」と発言し、議長席を退席する。
^ 1961年(昭和36年)6月8日に「衆議院副議長久保田鶴松君不信任決議案」が可決され、同日午後に久保田副議長から清瀬一郎議長宛に辞職願が提出されたのを受け、国会法第30条に基づいて「副議長久保田鶴松君辞職の件」として記名投票による採決が行われた上で辞職が許可された
出典^ a b 日本国憲法第58条 「両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。」
^ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年(昭和62年)、265頁
^ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年(昭和62年)、278頁
^ 浅野一郎・河野久著 『新・国会事典―用語による国会法解説』 有斐閣、2003年(平成15年)、40-41頁
^ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年(昭和62年)、272頁
^ 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年(昭和62年)、273頁
^ 議院法第3条 "衆議院ノ議長副議長ハ其ノ院ニ於テ各々三名ノ候補者ヲ選挙セシメ其ノ中ヨリ之ヲ勅任スヘシ"
^ 美濃部達吉著 『憲法撮要 改訂第5版』 有斐閣、1926年(1999年復刻版)、309-310頁
^ 第38回国会 衆議院 本会議 第54号 昭和36年(1961年)6月8日(議事録)
^ ⇒衆参議長交際費:使途は闇の中 相手や金額の明示拒否 毎日新聞 2013年9月21日[リンク切れ]
外部リンク
衆議院歴代議長・副議長一覧
表
話
編
歴
衆議院議長
帝国議会
中島信行
星亨
楠本正隆
鳩山和夫
片岡健吉
河野広中
松田正久
杉田定一
長谷場純孝
大岡育造
長谷場純孝
奥繁三郎
島田三郎
大岡育造
奥繁三郎
粕谷義三
森田茂
元田肇
川原茂輔
堀切善兵衛
藤沢幾之輔
中村啓次郎
秋田清
浜田国松
富田幸次郎
小山松寿
田子一民
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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