血盟団
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^ 大谷栄一の「超国家主義と日蓮主義」では血盟団事件をクーデター事件であると書いているが、実際にはクーデター計画はなかったことがわかっているので、大谷の記述は誤りである。
^ どの事件を嚆矢とするかは論者によって異なる。佐郷屋留雄による濱口雄幸首相暗殺事件をもって嚆矢とする論者[23]も多い。1921年朝日平吾による安田善次郎殺害事件を以て嚆矢とする論者もいる。
^ 血盟団事件の判決文では、日蓮宗の僧、日蓮宗の布教師両方が使われている。
^ 照沼は農業の科目担当だったが、黒澤と照沼は小学校時代からの同級生で旧知の仲である[51]
^ 中島『血盟団事件』pp.194、199では、10月初めと書いてあったり、10月中旬となっていたりで一貫していない。
^ 当初、藤井は井上と安岡正篤を共闘させようと目論んでおり、日曜ごとに金鶏学院に通っていた[72]。井上が上京後ほどなくして安岡が水戸で講演をすることになった時、藤井の仲介で水戸において井上との宴席が設けられた[73]。藤井は両者が意気投合することを狙っていたが、元々井上は安岡を不信の目で見ており、藤井のもくろみはうまくいなかった[74]。また、小沼らも安岡を馬鹿にしていた[75]。それでも、藤井はあきらめず、同年11月に金鶏学院で筑波山への紅葉狩り旅行が企画された際に、再度、井上と安岡の宴席を設けた[76]。もちろん、両者が意気投合するはずもなかったが、この時に参加していた四元・池袋に直感的に感じるものがあった井上は両者に接近し、ここで井上と四元・池袋の間に接点が生まれた[77]。四元・池袋は大学卒業を間近に控えていたが、退学を決意し、以後井上と共に行動するようになる[78]。ここで生まれた接点は非常に重要である。それまで、血盟団は大洗の小さなグループに過ぎなかった。しかし、四元・池袋との関係が生まれたことで東京に活動の拠点ができた他、四元が鹿児島時代の七高の敬天会の人脈から後に京都グループへも血盟団が拡大する要因になった。
^ 井上自身は、これよりも約5年前の、星光同盟に参加していた時期に既に西田と面識があった[85]。1930年に上京後、改めて藤井を通じて西田と交わるようになった[86]
^ 権藤は1931年春頃、代々木上原に自宅を構えた[94]。敷地は広く、その中に三軒の家屋が建てられていて、権藤はそのうちの一軒だけを使っていた。
^ たまたま、権藤空き家が血盟団の拠点となったにすぎないので権藤自身は血盟団事件とは無関係ではあるが、かと言って血盟団との関係が皆無というわけでもない。
^ 桜会は雑多な主張を持った人間で構成された会で、橋本欣五郎長勇ら少数の急進派と土橋らの穏健派の他は、大多数が無定見な日和見主義者の集まりだった。
^ 東京帝国大学の七生社の京都帝国大学版が猶興学会に相当すると考えてよい。
^ ただし川崎は、五・一五事件の後、西田税の暗殺未遂事件を起こして警察に捕まった。
^ 使用された拳銃は、前年の7月に藤井斉が大連で調達したものである[169]
^ 正確には、同日に伊藤広を殺人幇助罪で、井上、古内、菱沼、黒沢、四元、池袋、久木田、星子、須田、田中、田倉、森ら12人を殺人共同正犯としてそれぞれ予審に送付、小沼だけ遅れて4月14日に予審に送付[175]
^ 藤井は五・一五事件の担当判事でもある。同事件は、特に軍人側の被告に対して甘い判決を下したことで知られる。
^ 血盟団の恩赦の要求として、三上卓 (五・一五事件の実行犯の1人) の例が挙げられる。第2次近衛内閣の時期に三上は風見章法相に、日召ら血盟団事件関係者の仮出所をたびたび要望している[199]
^ 正確には、日蓮宗立正護国堂教社[206]

出典^ a b c 中島岳志『血盟団事件』文藝春秋、2013年、245頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784163765501。 
^ 大谷栄一 著「超国家主義と日蓮主義」、竹沢尚一郎 編『宗教とファシズム』水声社、2010年、95 注(14)頁。ISBN 978-4891767884。 
^ a b 北博昭 著「血盟団事件 五・一五事件」、筒井清忠 編『解明・昭和史 東京裁判までの道』朝日新聞出版、2010年、85頁。ISBN 978-4-02-259966-7。 
^ 大谷「超国家主義」p.95
^ 中島『血盟団事件』
^ a b 大谷「超国家主義」p.66.
^ 北博昭「血盟団事件」
^ 大谷「超国家主義」p.75.
^ 中島『血盟団事件』pp.76, 156.
^ 大谷「超国家主義」p.73.
^ 中島『血盟団事件』pp.79, 86
^ 中島『血盟団事件』p.251.
^ a b 中島『血盟団事件』p.79.
^ 中島『血盟団事件』p.80.
^ 中島『血盟団事件』p.327.
^ a b 中島『血盟団事件』p.312.
^ a b 中島『血盟団事件』p.311.
^ 中島『血盟団事件』pp.316-319.
^ 中島『血盟団事件』pp.314-315.
^ 中島『血盟団事件』pp.324-327.
^ 中島『血盟団事件』p.307.
^ a b c d 中島『血盟団事件』p.336.
^ 小山『五・一五事件』p.73.
^ 大谷『超国家主義』pp.67-68.
^ 北博昭「血盟団事件 五・一五事件」p.82.

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