蠅_(横光利一)
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石田仁志は、「因果系列の連鎖」による流れを見ながら、「この小説は、乗客たちの性質や行動とは交差しない、迂遠な因果関係の連鎖、すなわち、乗客たちはそれぞれの用があって馬車に集まってくること、馭者は馭者で饅頭が蒸し上がるのを待っていること、胃の腑に落ちた饅頭が馭者の眠気をさそうこと、その居眠りが事故にむすびつくことという、人間個々の意思とは迂遠なモノの因果系列の連鎖によって事故が生じたように描かれる」としている[11][3]

そうした因果関係に関しては、作品冒頭の構図と、冒頭と結末の照応を細かく見据えている以下の中村三春の論や[12]、それに対する山本亮介の論の指摘がある[13][3]。 テクストの構成の核心をなすのは、蠅がまず「蜘蛛の網」から、次に馬車という集合から脱出するパターンの反復なのである。乗客たちは、馭者を介して饅頭という物質を中心とする補足網に絡め取られ、それぞれの持つモノやコトに対する卑賤な偏執・欲望は、饅頭によって始動した運命に自動的に服従するほかない。主軸となる物語は、入力された微かな差異(饅頭)が迂遠な過程をたどって変換され(馭者の満腹と眠気)、最後に重大な事件(馬車の谷底転落)として出力されるループである。 ? 中村三春「〈統合〉のレトリックを読む――修辞学的様式論の試み」冒頭「一」で、「蜘蛛の網」でもがいていた蠅が「ぼたりと落ちた」後「馬の背中に這ひ上つた」経緯をもって、作品における生の図式を確定的に把握し、落下から死に至る人間たちの姿と対照する解釈は再考する必要があろう。見てきたように、蠅の生死のドラマは、宿場に集まる人間たちの動向を描く「二」以降も、それに強く依存すると同時に全く無関与な形で進行していたはずなのだから。 ? 山本亮介「横光利一と小説の論理」

日置俊次は、そうした論考を紹介しつつ、「物語の初めから、その転落は必然的な宿命として定められており、乗客たちは意識しないうちに、一歩一歩、着実に死の方へと導かれていく」という見方で作品解読し、結末への必然性と、そう描かざるを得なかった作者・横光の動機の必然性を探っている[3]

まず日置は、『蠅』に通底する「性欲」の主題に関連して、『日輪』の中で登場人物の長羅が、他の男に卑弥呼を奪われそうになる時に〈突き立つ〉という語が多用され、その「死の匂いを充満させたファリックなイメージ、男のエロスの感覚が色濃い」表現の語が鍵となり、卑弥呼への近親相姦的な願望や長羅父子の対立の背景に母をめぐる心理的な問題が隠されていることなどを考察しながら、〈母〉に対する〈息子〉の屈折した感情などをも含めた、初期の横光文学に見られる一方通行的なエロスのもどかしさや〈不通線〉が『蠅』の猫背の馭者にも見られ、〈突き立つ〉という語がこの掌編にも3度出てくることを指摘している[3][注釈 1]

そして日置は、馭者が日課として執着していた蒸し立てのふわりと白い饅頭が、女の暖かい肌の象徴であり、「毎日処女としてよみがえる主婦の肌」だったのではないかと考察しながら、「その饅頭を毎日、最初に自分が手にとって食べるという慰めがなければ生きていけないほど」だった猫背の馭者にとってその饅頭は、「理想とする〈母なるもの〉の姿でもあった」とし、〈突き立つ〉という語の意味を以下のように解説しながら[3]、 「(登場人物たちの)〈息子〉をめぐる情念の渦を消し去ってしまおう」という意図で横光が結末に彼らの死を置き、「(自身の中の)情念の集積を一瞬で崖下に蹴落とす」という執筆動機があったのではないかと考察している[3]。この言葉は偶然そこに配置されているのではない。「突き立つ」行為には、いずれも死がからんでいる。馬糞が上から落ちて来たので、藁は端を押されて突き立った。これは結末における馬車の墜落とそれに抗いきれない力を暗示する。結末では、落下する力に抗って突き立つ馬が描かれる。藁は馬の餌であり、最初と最後の章の「突き立つ」という表現は、「馬」のイメージによってつながっている。それに対して、第三章の農婦は、息子が死にかけているので馬車を早く出してほしいと叫び続けて、突き立っている。おそらくここに馬車の落下の秘密が隠されている。つまりこの三つの「突き立つ」という表現が、事故が起こるに至った経緯を物語る。結論から先にいえば、この三つの「突き立つ」描写が導きだす「母」という問題にからむエロスのイメージが、事故原因の深層に隠されている。 ? 日置俊次「横光利一『蠅』論」[3]
おもな収録刊行本

『日輪』〈
文藝春秋叢書 第2編〉(春陽堂1924年5月18日)

収録作品:「日輪」「碑文」「敵」「蠅」


『御身』(金星堂、1924年5月20日)

収録作品:「日輪」「碑文」「赤い着物」「蠅」「月夜」「村の活動」「穴」「落とされた恩人」「芋と指輪」「マルクスの審判」「父」「敵」「御身」「淫月」「食はされたもの」「男と女と男」


『日輪・春は馬車に乗って 他八篇』(岩波文庫、1981年8月16日)

解説:川端康成保昌正夫「作品に即して」

収録作品:「火」「笑われた子」「蠅」「御身」「赤い着物」「ナポレオンと田虫」「春は馬車に乗って」「花園の思想」「機械」「日輪」


脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「一」の〈馬糞の重みに斜めに突き立つてゐる藁わら〉、「三」の〈涙も拭かず、往還の中央に突き立つてゐ〉る農婦、最後の「十」で、〈突然、馬は車体に引かれて突き立つた〉という描写の3か所[3]

出典^ a b 川端康成「解説 1952年10月付」(日輪 1981, pp. 281?284)
^ a b c 「懊悩と模倣――陽が昇るまで」(アルバム 1994, pp. 20?35)
^ a b c d e f g h i j k l m 日置 2013
^ a b c d e f g h 保昌正夫「作品に即して」(日輪 1981, pp. 285?299)
^ 「略年譜」(アルバム 1994, pp. 104?108)
^ 「解題――蠅」(全集1 1981, p. 488)
^ a b c 久保田万太郎菊池寛中村武羅夫久米正雄水守亀之助「同時代評――『日輪』『蠅』評(「創作合評」新潮 1923年6月号)」(全集1 1981月報)
^ 片岡良一「『日輪』について」(『日輪』岩波文庫、1956年1月)。日輪 1981, pp. 291?292
^ 岩上順一『横光利一』(東京ライフ社、1956年10月)p.15。日置 2013
^ a b 濱川勝彦『論攷横光利一』(和泉書院、2001年3月)p.37。日置 2013
^ 石田 2007
^ 中村三春「〈統合〉のレトリックを読む――修辞学的様式論 の試み」(日本近代文学 1991年10月)。


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