蟹江敬三
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3月30日午前8時27分に東京都新宿区の病院で逝去[8]。69歳没。

蟹江の訃報を受けて、テレビ東京は『ガイアの夜明け』オフィシャルサイトにて追悼メッセージを掲載し[9]中村吉右衛門[10]松下由樹[11]能年玲奈[12] など故人とゆかりがあった人物が追悼の辞を発表した。

テレビドラマの遺作は2014年4月5日に放送された『おとり捜査官・北見志穂18』(テレビ朝日、2013年12月収録)で、放送の際には番組冒頭及びエンディング場面の2回、追悼のテロップが流された。『ガイアの夜明け』にてナレーターを務めたのは2014年3月18日放送分が最後となった[13]。また、追悼番組としてTBSテレビは予定を変更して4月14日の月曜ゴールデン枠にて『世直し公務員ザ・公証人11』を放映し[14]、NHK総合では4月18日深夜に『ひたむきな役者人生?蟹江敬三さんをしのぶ?』をそれぞれ放送した[15]

2014年5月13日、東京都の青山葬儀所でお別れの会が行なわれ、生前親しかった石橋蓮司名取裕子ら約700人が参列した[16][注釈 2]
人物

本人は生前、「子供の頃からおとなし過ぎて人前に出ていくことが全然できなかった。そのコンプレックスは今でもある」と語ったことがある[5]。また役者業について、「大人しい性格だったので芝居という独特の世界に惹かれ、特に悪役や犯人役に憧れたんです。社会から逸脱した、自分とは全く違う人生を芝居の世界で体験してみたかった」とも言っていた[5]

基本的に社交的なタイプではなく、撮影現場以外でスタッフや共演者と交流することはあまりなかった[5]。『十九歳の地図』など3作品で共演した映画監督の柳町光男はプライベートで交流があった数少ない一人で、蟹江の自宅に招くこともあった[5]

劇団青俳の一年後輩にあたる石橋蓮司とは、現代人劇場や櫻社でも演劇活動を共にし、1972年の舞台『ぼくらが非情の大河をくだる時』では兄弟役を演じた[5]。当時について石橋は以下のように回想している。「普段の蟹江はとにかく寡黙で、自己主張をほとんどしなかった。しかし彼は日常で感じた不満や喜びなどを演技を通じて自己表現し、彼の芝居は見る人の共感を得ていました」[5]

柳町監督は、蟹江について以下のように語っている。「有名俳優でしたがサラリーマンのような生活[注釈 3]を送っていました。普段は比類のない無口な人でしたが、撮影時は演技の幅広さに驚かされました」[5]
出演作品
テレビドラマ
レギュラー

NHK

大河ドラマ

勝海舟(1974年) - 田辺

元禄太平記 (1975年) - 生駒十三

風と雲と虹と(1976年) - 平良正

草燃える(1979年) - 尊長

春の波涛(1985年) - 幸徳秋水

翔ぶが如く(1990年) - 大山綱良

炎立つ(1993年 - 1994年) - 吉彦秀武

葵 徳川三代(2000年) - 福島正則

龍馬伝(2010年) - 岩崎弥次郎


連続テレビ小説

君の名は(1991年 - 1992年)

あまちゃん(2013年) - 天野忠兵衛


少年ドラマシリーズ / 幕末未来人(1977年) - 樫岡

銀河テレビ小説

新・青春戯画集(1984年)- 和倉稲城

まんだら屋の良太(1986年) - お役者清司

まんが道(1986年) - 虎口部長

まんが道・青春編(1987年) - 虎口部長


水曜ドラマ マダム・りん子の事件帖(1991年) - 薬袋猪佐吾

金曜時代劇→木曜時代劇→土曜時代劇

天晴れ夜十郎(1996年 - 1997年) - 波風達之介

お登勢(2001年) - 石毛弥一郎

風の果て(2007年) - 桑山孫助

浪花の華?緒方洪庵事件帳?(2009年) - 中天游


ドラマ新銀河

元気をあげる?救命救急医物語(1996年) - 井崎邦男


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