『私の履歴書』によると、俳優時代の蜷川は「劇団青俳」の木村功や岡田英次などに可愛がられたという。そして、演出家として頭角を表しつつあったある日、出演していた時代劇『水戸黄門』[注釈 1]を見た太地喜和子から、俳優としての演技にダメ出しされたことを切っ掛けに演出家一本に絞ることにしたという。
晩年は病気がちになり、2013年には狭心症により心臓バイパス手術を受け、その後は肝臓などの不調が続き、2014年11月、さいたまゴールド・シアター香港公演の際、滞在先のホテルで下血し緊急入院。チャーター機で帰国する事態となっている[6]。長年の喫煙習慣による肺疾患もあり、帰国後は車椅子と酸素吸入器を手放せなくなった。2015年12月半ば、軽い肺炎で入院となりリハビリに励んでいたが、復帰は叶わなかった[7]。
2016年5月12日(木曜日)午後1時25分、肺炎による多臓器不全のため、都内の病院で死去[8]。80歳没。同年5月15日に東京・青山葬儀所で通夜が営まれ、田原総一朗、松本幸四郎、北大路欣也、宇崎竜童・阿木燿子夫妻、本田博太郎、名取裕子、吉田鋼太郎、堤真一、東山紀之、中嶋朋子、木村拓哉、宮沢りえ、綾野剛、藤原竜也、小栗旬、鈴木杏、勝地涼、亀梨和也、溝端淳平、岡田将生、多部未華子、藤木直人、前田敦子 、ピカソ利光ら演劇関係者やファン約1600人が弔問に訪れた。5月16日の告別式では、平幹二朗、大竹しのぶ、吉田、小栗、藤原の5人が弔辞を読んだ[9]。渡辺謙、二宮和也、松本潤、生田斗真、松坂桃李らも参列した。出棺時は、Libera(リベラ)のサンクトゥスが流れた。
2016年6月10日、日本政府は生前の蜷川が演劇文化の発展に尽くした功績を讃え、没日の5月12日付で従三位に叙することを閣議決定した[10][11]。
2016年7月、蜷川幸雄の作品記録の承継・著作権・肖像権および商標権の管理を行う「ニナガワカンパニー」が妻・蜷川宏子(真山知子)を代表に設立。 妻は元女優で現在はキルト作家の真山知子で、2人の娘がおり、長女に写真家として活動している蜷川実花、姪に女優の蜷川有紀、蜷川みほがいる。 長野県軽井沢町には別荘があり、家族で度々滞在した(妻との新婚旅行も軽井沢であった[12])。娘実花によれば、軽井沢は「私達家族にとってとても思い出深い大切な場所」だという[13]。
家族
役職
Bunkamuraシアターコクーン芸術監督
財団法人埼玉県芸術文化振興財団芸術監督
英国グローブ座アーティスティック・ディレクター
桐朋学園芸術短期大学名誉教授
ニナガワ・スタジオ主宰
さいたまゴールド・シアター主宰
さいたまネクスト・シアター主宰
略歴
1955年 開成高校卒業後、「劇団青俳」に入団。
1967年 「劇団青俳」を退団し、蟹江敬三、石橋蓮司らと劇団「現代人劇場」結成。
1969年 『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。
1971年 「現代人劇場」解散。
1972年 劇結社「櫻社」結成。
1974年 「櫻社」解散。『ロミオとジュリエット』で商業演劇に進出。
1983年 『王女メディア』で初の海外公演。
1984年 「GEKISHA NINAGAWA STUDIO(現ニナガワ・スタジオ)」を結成。
1986年 『第37回NHK紅白歌合戦』出演予定の北島三郎と山本譲二を、暴力団との交際のスキャンダルにより出演辞退に追い込んだNHKに対して、「たかが芸能番組で道徳を振りかざしている」と異議を唱え、自らも特別審査員を辞退(蜷川の他にも、北島らの代役に選ばれた鳥羽一郎もNHKの偽善を批判し辞退した)。
1987年 英国ローレンス・オリヴィエ賞演出部門にノミネートされる。
1992年 ロンドン・グローブ座芸術監督陣の一員となる。
1993年 桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻の教授に就任。
1998年 彩の国シェイクスピア・シリーズ芸術監督となる。
1999年 Bunkamuraシアターコクーン芸術監督に就任。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの演出家として『リア王』を日本・英国で長期公演。
2000年 「蜷川イヤーズ」と題し、2年間で12本の作品(演出作9本、監修作3本)を彩の国さいたま芸術劇場で上演。
2002年 大英帝国勲章(CBE=三等勲章)を授与される。
2003年 桐朋学園大学短期大学部学長に就任。
2004年 桐朋学園芸術短期大学学長に就任(2010年3月まで)。2010年4月から2011年3月まで特任教授を務める。
2005年 シアターコクーン芸術監督就任7年目および70歳を迎える年を記念して「NINAGAWA VS COCOON」と銘打ち、新作4本を同劇場で上演。歌舞伎を初演出し(『NINAGAWA十二夜』)、歌舞伎座で上演。
2006年 財団法人埼玉県芸術文化振興財団芸術監督に就任。高齢者演劇集団「さいたまゴールド・シアター」発足。
2009年 若手俳優育成プロジェクト「さいたまネクスト・シアター」発足。埼玉県民栄誉賞受賞。
2010年 文化勲章受章。埼玉県川口市市民栄誉賞受賞[14]。
2013年 桐朋学園短期大学より名誉教授の称号を授与される。