虻田町
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大きな被害を生んだこの噴火であったが、洞爺湖岸に温泉を湧出させ、虻田発展の契機を作ることとなる。1977年の活動では山麓に北海道大学有珠火山観測所が開設され、これ以降有珠山の火山活動に関する多くのデータを収集していった。この成果が出たのが2000年噴火である。3月31日13時10分、有珠山西麓で大規模なマグマ水蒸気爆発が発生し軽石を伴う火山灰を噴出、噴煙は高度3,200mにまで達した。その後も新たな火口を形成しながら爆発を繰り返した。しかし3月27日から群発地震が発生していた時点で有珠火山観測所などによって数日中の噴火が予知され、29日までにほとんどの住民の避難が終わっていたために死傷者はゼロであった。噴火時期・噴火場所に至るまでこれほど正確な予知が行われた例は稀である。だがこの噴火での虻田町の被害は小さくなかった。火口に近い洞爺湖温泉町を中心に噴石や地殻変動の被害を受けた。地割れは海岸に近い中心市街にまで達し、道路や鉄道も寸断された。全町にわたり避難指示が出されたため、役場の機能も隣接する豊浦町に一時移したほどであった。しかし同年7月には、有珠山からの空振音の鳴るなかで洞爺湖温泉の営業が一部再開されるなど、復興は比較的早かった。火口を見学する散策路が設けられるなど、逆に噴火を観光に生かす試みもなされている。
洞爺湖温泉
洞爺湖温泉は比較的歴史の浅い温泉で、1917年6月に発見された。壮瞥町の三松正夫、杉山春巳、安西岩吉の一行が虻田鉱山見学の帰途、西丸山近くの湖岸から湯気が出ているのを発見し、掘削してみたところ熱水が噴き出した。1910年の有珠山噴火の影響でここへの湧出が始まったとみられる。三松らは翌月に道庁から利用許可を受け、秋には竜湖館という温泉宿を始めており、これが洞爺湖の温泉旅館第一号ということになる。1928年に国鉄長輪線(現在の室蘭本線)が全通、翌年虻田駅(現在の洞爺駅)と洞爺湖畔との間に洞爺湖電気鉄道が開通(1941年に廃止)すると、洞爺湖温泉は多くの宿の並ぶ温泉街となった。世は1929年から世界恐慌に突入したが、温泉の発展はこれを乗り切る原動力となった。1944年の有珠山の活動で出現した昭和新山は、第二次世界大戦後に新たな観光地となった。また1949年には一帯が支笏洞爺国立公園に指定され「洞爺」の知名度が上がったこともあり、洞爺湖温泉はさらに多くの観光客を集めるようになる。虻田は戦後の不況期をまたも温泉に救われることとなった。1982年からは連夜花火を打ち上げるロングラン花火大会が始まり、温泉の新たな名物となった。有珠山の至近にあり、1977年、2000年の噴火では物理的な損害のみならず、観光客の減少による営業的な損害も非常に大きかったが、洞爺湖温泉の人気は衰えず、虻田町の経済を牽引し続けている。
沿革

1880年 虻田村に虻田郡各村戸長役場を設置。虻田村・振苗村・弁辺村礼文村を管轄。

1882年 振苗村を併合。

1893年 倶知安村(現在の倶知安町京極町)を分村。

1897年 真狩村(現在の真狩村留寿都村ニセコ町喜茂別町)を分村。

1902年 虻田村・弁辺村組合役場設置。二級町村制施行。

1909年 弁辺村(現在の豊浦町)を分離して虻田村役場を設置。

1920年 洞爺村を分村。

1938年4月1日 一級町村制施行。

1938年10月1日 町制施行し虻田町となる。

2006年3月27日 虻田町と洞爺村が新設合併し、洞爺湖町が成立。これにより虻田町は廃止された。

行政

隣接する豊浦町、洞爺村と法定合併協議会を設け主要な協議を終えていたが、2005年2月に行われた住民投票で合併反対の多かった豊浦町が離脱した。これを受けて虻田町・洞爺村の2町村での合併を目指すことになり、2005年3月に合併協定書に調印、各町村議会での議決、知事への申請も終えた。合併期日は2006年3月27日で、新町名は「洞爺湖町」(とうやこちょう)となる。
虻田町役場
〒094-5692 北海道虻田郡虻田町字栄町58番地洞爺湖温泉町に洞爺湖温泉支所が設置されている。
歴代首長

戸長
佐瀬最中 (1880年3月18日 - 1889年2月16日)

山岡昌仲 (1889年2月16日 - 1890年)

浅羽正短 (1890年4月 - 1891年11月25日)

井口正道 (1891年12月2日 - 1892年11月15日)

伊藤達 (1892年11月19日 - 1896年)

間下信近 (1896年 - 1898年9月15日)

佐藤儀七郎 (1898年9月15日 - 1900年7月11日)

村田倉之助 (1900年7月3日 - 1900年10月31日)

手代木茂篤 (1900年11月 - 1901年3月31日)

村長
手代木茂篤 (1901年4月1日 - 1904年2月29日)

大野石助 (1904年2月29日 - 1904年5月28日)

阿部雄貞 (1904年7月25日 - 1906年12月8日)

武井友諒 (1906年12月8日、着任せず)

志賀兼治 (1906年12月 - 1910年4月1日)

須佐美優 (1910年4月1日 - 1911年9月19日)

早坂四方吉 (1911年9月19日 - 1914年5月29日)

高橋吉治 (1914年5月29日 - 1916年2月22日)

森谷秀一郎 (1916年2月22日 - 1921年8月16日)

志水平五郎 (1921年10月4日 - 1923年10月30日)

高田健吾 (1923年12月11日 - 1925年12月2日)

水野裕之 (1925年12月15日 - 1930年5月15日)

河村虎雄 (1930年6月6日 - 1933年4月17日)

桑原清之助 (1933年4月26日、着任せず)

那須嘉市 (1933年5月8日 - 1938年9月30日)

町長
那須嘉市 (1938年10月1日 - 1946年11月7日)

黒木竹一 (1947年4月5日 - 1954年12月12日)

那須嘉市 (1954年12月12日 - 1962年5月17日)

常盤志郎 (1962年6月18日 - 1966年6月16日)

横山勉 (1966年6月17日 - 1974年6月16日)

岡村正吉 (1974年6月17日 - 1998年6月17日)

長崎良夫 (1998年6月17日 - 2006年3月27日)

経済
産業

2000年国勢調査によると産業別人口比率は第1次産業8.1%、第2次産業23.0%、第3次産業68.8%となっており、第3次産業の比率が高い都市型の産業構成になっている。特に洞爺湖温泉を中心とした観光関連産業への依存度が大きく、サービス業や小売業の就業者が多くなっている。
農林水産業
虻田町の農業は酪農・畜産・野菜・花卉・稲作・いも類など産物は多彩であるが、総産出額は小さい。林業は行われない。漁業は虻田漁港で
ほたてさけたらなどが水揚げされる。洞爺湖での漁業は非常に小規模。
鉱業
虻田鉱山は褐鉄鉱の鉱山で、1892年に黒田雄橘により発見され、1905年に採掘が開始された。その鉱石は室蘭の製鉄所へと供給されていたが、1947年に休山した。1955年に新たに硫化鉄の鉱床が見つかり再開されたが、1971年に埋蔵量の減少と品質低下により閉山した。
工業
工業生産はそのほとんどが食料品製造業によるものである。化学、金属、機械などの重工業は見られない。明治後半から亜麻製線、昆布を原料としたヨード製造などの工場が置かれていたが、いずれも1960年代までに姿を消した。
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