隣接する豊浦町、洞爺村と法定合併協議会を設け主要な協議を終えていたが、2005年2月に行われた住民投票で合併反対の多かった豊浦町が離脱した。これを受けて虻田町・洞爺村の2町村での合併を目指すことになり、2005年3月に合併協定書に調印、各町村議会での議決、知事への申請も終えた。合併期日は2006年3月27日で、新町名は「洞爺湖町」(とうやこちょう)となる。 戸長 村長 町長 2000年国勢調査によると産業別人口比率は第1次産業8.1%、第2次産業23.0%、第3次産業68.8%となっており、第3次産業の比率が高い都市型の産業構成になっている。特に洞爺湖温泉を中心とした観光関連産業への依存度が大きく、サービス業や小売業の就業者が多くなっている。
虻田町役場
〒094-5692 北海道虻田郡虻田町字栄町58番地洞爺湖温泉町に洞爺湖温泉支所が設置されている。
歴代首長
佐瀬最中 (1880年3月18日 - 1889年2月16日)
山岡昌仲 (1889年2月16日 - 1890年)
浅羽正短 (1890年4月 - 1891年11月25日)
井口正道 (1891年12月2日 - 1892年11月15日)
伊藤達 (1892年11月19日 - 1896年)
間下信近 (1896年 - 1898年9月15日)
佐藤儀七郎 (1898年9月15日 - 1900年7月11日)
村田倉之助 (1900年7月3日 - 1900年10月31日)
手代木茂篤 (1900年11月 - 1901年3月31日)
手代木茂篤 (1901年4月1日 - 1904年2月29日)
大野石助 (1904年2月29日 - 1904年5月28日)
阿部雄貞 (1904年7月25日 - 1906年12月8日)
武井友諒 (1906年12月8日、着任せず)
志賀兼治 (1906年12月 - 1910年4月1日)
須佐美優 (1910年4月1日 - 1911年9月19日)
早坂四方吉 (1911年9月19日 - 1914年5月29日)
高橋吉治 (1914年5月29日 - 1916年2月22日)
森谷秀一郎 (1916年2月22日 - 1921年8月16日)
志水平五郎 (1921年10月4日 - 1923年10月30日)
高田健吾 (1923年12月11日 - 1925年12月2日)
水野裕之 (1925年12月15日 - 1930年5月15日)
河村虎雄 (1930年6月6日 - 1933年4月17日)
桑原清之助 (1933年4月26日、着任せず)
那須嘉市 (1933年5月8日 - 1938年9月30日)
那須嘉市 (1938年10月1日 - 1946年11月7日)
黒木竹一 (1947年4月5日 - 1954年12月12日)
那須嘉市 (1954年12月12日 - 1962年5月17日)
常盤志郎 (1962年6月18日 - 1966年6月16日)
横山勉 (1966年6月17日 - 1974年6月16日)
岡村正吉 (1974年6月17日 - 1998年6月17日)
長崎良夫 (1998年6月17日 - 2006年3月27日)
経済
産業
農林水産業
虻田町の農業は酪農・畜産・野菜・花卉・稲作・いも類など産物は多彩であるが、総産出額は小さい。林業は行われない。漁業は虻田漁港でほたて、さけ、たらなどが水揚げされる。洞爺湖での漁業は非常に小規模。
鉱業
虻田鉱山は褐鉄鉱の鉱山で、1892年に黒田雄橘により発見され、1905年に採掘が開始された。その鉱石は室蘭の製鉄所へと供給されていたが、1947年に休山した。1955年に新たに硫化鉄の鉱床が見つかり再開されたが、1971年に埋蔵量の減少と品質低下により閉山した。
工業
工業生産はそのほとんどが食料品製造業によるものである。化学、金属、機械などの重工業は見られない。明治後半から亜麻製線、昆布を原料としたヨード製造などの工場が置かれていたが、いずれも1960年代までに姿を消した。
姉妹都市・提携都市
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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