人材は東映動画から移籍した杉井ギサブローやりんたろう、中村和子、月岡貞夫[注釈 3]などの若手スタッフ、山本暎一など横山隆一のおとぎプロ出身者、荒木伸吾、北野英明、村野守美、真崎守、出崎統、金山明博など手塚治虫のアシスタントや貸本漫画などを描いていた漫画家、杉野昭夫、川尻善昭、高橋良輔、富野由悠季、安彦良和、吉川惣司など虫プロの生え抜きスタッフがいる。後に虫プロ人脈の多くは日本を代表するアニメーション制作者になった。 創業した手塚が絵を描く漫画家でありアニメーターでもあったため、虫プロは「アニメーターにあらずんば人にあらず」という絵を描けなければまともに相手にされない社風であったことを、虫プロに在籍したことのある富野由悠季らが証言している[13][14][15][16][17][18]。手塚はアニメーターに「作家であれ」と主張して、「実験アニメ」と虫プロで実際に呼んでいた『おす』『しずく』『タバコと灰』『創世紀』『めもりい』といった短編の非商業作品を制作した。虫プロ社内では手塚の発案で、20万円の実験作品製作資金助成制度を設けていたという[19]。テレビアニメ制作に忙殺されて、この制度が活かされることはあまりなかったというが実験的なアニメーションが作られている。商業性にとらわれない実験的な作品を発表させるという趣向は手塚が虫プロ商事から発刊した漫画雑誌『COM』とも共通するものである。出崎統は自らの演出の指向性について、「虫プロで制作された実験的作品の志を商業作品でも発揮できないかと考えた」と後年語っている[20]。 一方で、このようなアニメーター偏重の社風は非合理的な経営や人件費の高騰を招くこととなった。虫プロから独立した営業・制作系スタッフが中心となって設立したサンライズは虫プロの失敗を教訓にクリエーターを経営に関与させない方針を決め、制作進行など管理業務以外の実制作作業は外注スタッフに任せる手法とした。 旧虫プロのビジネスモデルは、その後の日本に於けるアニメ製作上の規範となった。2020年代も、日本国内では、基本的に旧虫プロと同じ形態で資本回収が行われる形でのアニメ制作が行われている。 虫プロダクションが、制作プロダクションとしてテレビ局から受け取る制作費は実際にかかった経費よりも大幅に下回っていた。その赤字を関連商品の著作権収入(マーチャンダイジング収入)・海外輸出で補う日本におけるテレビアニメのビジネスモデルを確立したのは旧虫プロである。手塚が『鉄腕アトム』で予算的に引き合わないテレビアニメに参入したのは、自らの漫画の原稿料で赤字を補填し、他社の参入を妨げて、テレビアニメ市場の独占を図るためであったと言う。著作権収入というビジネスモデルについてはディズニーに倣ったものであったが、この著作権ビジネスでの副収入は他社の参入を許すこととなった。「鉄腕アトム」後、旧虫プロ主宰者の手塚は、当たりはずれの大きいマーチャンダイジング収入にはなるべく頼らない作品作りを目指そうと考えたが、そのような方式のアニメ制作は定着せず、「鉄腕アトム」式のビジネスモデルが旧虫プロ以後の時代にも引き継がれた。 旧虫プロは基本的に作品の著作権をテレビ局に売り渡さなかった。そのような形態の作品は当時から存在はしたが、虫プロダクションの場合はマーチャンダイジング収入無しでは制作費の回収が事実上不可能なビジネスモデルであったため、戦略的に著作権を売り渡さない契約を行った。版権部という部署を設けて、自社作品の著作権の管理を積極的に行った。ただし、他プロダクションの下請けや人形劇番組のアニメーション部分を下請けの形で請け負ったことはある。 『鉄腕アトム』はアメリカのテレビ局NBCの子会社 NBC FILMSと輸出契約を締結した。NBCのネットワーク放送に乗せられず、シンジケーションによる番組販売という形で放送される形だった。虫プロ文芸部に所属した豊田有恒によれば、「『鉄腕アトム』の世界配給権はアメリカのNBC FILMSが取得して、西ドイツやメキシコで放映されても虫プロの収入にはならず、NBC FILMSへの納品にはアメリカで放映できるものという条件だった」ため、英語への吹替費用を虫プロ側が負担し、アメリカでの放送に適さない場合の編集は虫プロ側が行っていた。1話辺り、1万ドルで売れたことが話題になったが、これらの諸経費が実際には差し引かれていた[21]。『鉄腕アトム』に次いで、NBC FILMSと契約した『ジャングル大帝』は当初から輸出を前提とした作品作りを行なっている。しかし、この形での輸出は定着せず、後に輸出を開始した竜の子プロダクション作品などは日本側スタッフ・プロダクション名の表示なしで、現地で大幅に編集して放映することを許す形をとった。虫プロダクションと異なり、テレビ局側が用意した企画・脚本を元に、プロダクション側は動画制作のみを行う形態の作品が1960年代には存在した。ただし、この形式での製作は主流にはならなかった。 旧虫プロは東映動画など従来のアニメーション制作スタジオと同様に、企画・脚本・キャラクター設定から動画や彩色、録音などの全ての工程を社内で行う内制システムを取っていた。この方式によって、作品を早く仕上げ、品質を保つことができた。その後は他プロダクションがテレビアニメを制作するようになると注文の奪い合いになった。しかし、受注が減ってくるようになっても全スタッフには基本給を支給しなければならない。最終的には受注減が根本的な理由になって、旧虫プロは倒産した。この後、同様の内制システムを取っていた東映動画でも労働争議が起きて、最終的に内制システムを破棄。動画・彩色は下請けのプロダクションに出来高払いで発注するようになった。 その後はアニメ制作プロダクションはテレビ局から直接受注を請ける企画プロダクションと、そこから動画・彩色などを孫請けの形で請ける動画プロダクションにはっきり分けられるようになった[注釈 4]。この点では現代のアニメの制作システムは、旧虫プロ時代の頃とは異なっている。 旧虫プロも外注は行ったが、まるまる1話を下請けプロダクションに制作させるという方式(いわゆるグロス請け)で、動画・彩色などの工程ごとに孫請けプロダクションに発注する21世紀初頭での主流の外注方法とは異なる。 旧虫プロが破綻した後の頃からは、それまでの東映動画や旧虫プロダクションのようにアニメーション制作の労働者を基本的には正社員として雇用し育成することは普通ではなくなり、サンライズのように個人事業主を請負契約で使用することが普通となった。
社風
虫プロダクションのビジネスモデル
主な出身者
手塚治虫(虫プロ創設者)
明田川進
芦田豊雄
荒木伸吾
飯塚正夫
石津嵐 (磐紀一郎)
宇田川一彦
浦上靖夫
岡迫亘弘
勝井千賀雄
金山明博
上口照人
川尻善昭
渡邉忠美
神田武幸
北野英明
小林準治
斎藤博
坂口尚
坂本雄作
槻間八郎
正延宏三
佐々門信芳
塩野米松(虫プロ商事)[22]
進藤満尾
神宮慧
杉井ギサブロー
杉野昭夫
杉山卓