江戸時代の藩主家の一族が、弟や庶子など、家督相続の権利の無い者に所領を分与する(分知)などして新たに藩を成立させることがあり、これを支藩という。支藩に対して分知した藩主家の藩を本藩という。藩主家一族以外の有力家臣の所領も支藩という場合がある。ただし、藩の概念が曖昧であるのと同様、支藩の概念も、成立時に血縁であっただけであって幕府からは各々独立した藩と見られていたものから、領内における比較的独立性の強い領分の意まで、その指し示すものは確定しているとは言い難い。
インド・パキスタンの藩詳細は「藩王国」を参照
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 既に詩経・春秋左氏伝に用例がある。
^ 江戸時代においても、書籍等における通称的用法として、薩摩藩を扱った『麑藩名勝考』(1795年)や『薩藩名勝志』(1806年)、広島藩を扱った『芸藩通志』(1806年)などが見られる。
^ a b 将軍家より松平姓を賜っている。「松平氏#外様大名」参照。
出典^ 漢字学者の白川静によると、「藩」という漢字の意味は「説文解字」では「屏なり」といい、藩屏(原義は垣根)を巡らして帝王を守護するように地方の属国を藩と呼んだのだという。例えば春秋左氏伝では「昔、武王、商に克つ。成王之を定め、明徳を選び建てて、以って周に藩屏とす」とあるという。白川「字通」平凡社、1298ページ
^ 例えば漢書・諸侯王表には「藩国の大なるものは、州に跨がり郡を兼ね、連城数百、宮室百官、制を京師に同じうす」とある。白川「字通」平凡社、1299ページ
^ 元来は「国の藩屏となる諸侯」の意味であった。白川「字通」平凡社、1299ページ
^ 『三百藩藩主人名事典』(新人物往来社)のように豊臣政権期にあたる関ヶ原の戦い当時に存在していた大名の領域およびその支配機構に対しても「藩」を用いている文献もある。更に遡って、江戸期まで存続した織田政権期の大名の支配機構についても「藩」を用いる文献がある。例えば、別所氏の但馬八木藩は1585年立藩であるが、立藩以前の1580年に自刃した別所家当主別所長治についても「藩主長治の(辞世は)『今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我が身と思えば』という一首であって一命にかえて藩民を救う切々とした訴えが胸を打つ」という用例がある(橋本哲二「新西国巡礼の寺」保育社)。また、1922年編纂の「青森県史」では青森県の歴史を「藩政時代以前」「藩政時代」「近世時代」の三年代に分け、津軽藩政時代として「元亀天正中、津軽為信蹶起し郡中を統一して以来」とし、津軽為信が家督を継いだ永禄10年(1567年)を以って「藩政時代」の記述の初めとしている。ただしこれは津軽藩立藩(1590年)以前の史料が極めて少なかったためであると青森県史編纂委員は序文で断っており、織田信長上洛以前の戦国大名を「藩」と称することは殆ど無い。
^ 『近世国家史の成立』藤野保著、2002年、吉川弘文館・『津藩』深谷克己著、2002年、吉川弘文館など
^ 『譜代大名の創出と幕藩体制』小宮山敏和著、2015年、吉川弘文館、P15より引用
^ a b c 目で見る 毛利家あれこれ ?毛利博物館収蔵資料と歴史ばなし?第254回 - 毛利博物館館長代理 柴原直樹(ほっぷ 2015年8月7日号 - 地域情報新聞社)
^ 例えば、毛利博物館に所蔵されている毛利敬親宛の任命書には「山口藩知事」と明記されている。
^ 森谷秀亮, 「明治初年における府藩県」駒沢史学, (14), 1-21 (1967).
^ a b 『江戸幕府崩壊論』藤野保著、2008年、塙書房
関連項目
藩の一覧
令制国・令制国一覧
陣屋
国人
郷士
相給
外部リンク
江戸300藩の一覧|攻城団
主な江戸100藩|刀剣ワールド
藩一覧まとめ
⇒諸藩一覧|維新の志士たち
⇒大名家一覧|武鑑全集
表
話
編
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