[Wikipedia|▼Menu]
例えば「加賀藩」は、主たる所領が旧令制国名でいう「加賀国」であることに由来し、加賀地方以外にも多くの所領を持ちながら「加賀」の名を冠するもので、最も広く通用している名称であるが、これとは別に、大名・前田氏加賀前田家)によって治められたことから「前田藩」という名称も通用している。また、この藩の中核をなす城下町が金沢城下(金沢城の城下町)であったことに基いて「金沢藩」という名称も用いられている。

例えば「彦根藩」は、主たる所領は旧令制国名でいう「近江国」ではあるが、近江地方は一藩が代表するには細分化されすぎており、その名を冠することはない。それよりも、北近江の地を治めるに当って居城を佐和山城から彦根山の新城(彦根城)に移して政治および地政学的刷新を図ったことが重要で、彦根に中核たる城下町が形成されたことに基いて「彦根藩」と呼ばれることとなった。なお、彦根藩を治めたのは大名・井伊氏(井伊掃部頭家)であるが、「井伊藩」とは呼ばれず、「井伊彦根藩」という名称がこれに代わる。

本藩と支藩詳細は「支藩」を参照

江戸時代の藩主家の一族が、弟や庶子など、家督相続の権利の無い者に所領を分与する(分知)などして新たに藩を成立させることがあり、これを支藩という。支藩に対して分知した藩主家の藩を本藩という。藩主家一族以外の有力家臣の所領も支藩という場合がある。ただし、藩の概念が曖昧であるのと同様、支藩の概念も、成立時に血縁であっただけであって幕府からは各々独立した藩と見られていたものから、領内における比較的独立性の強い領分の意まで、その指し示すものは確定しているとは言い難い。
インド・パキスタンの藩詳細は「藩王国」を参照
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 既に詩経春秋左氏伝に用例がある。
^ 江戸時代においても、書籍等における通称的用法として、薩摩藩を扱った『麑藩名勝考』(1795年)や『薩藩名勝志』(1806年)、広島藩を扱った『芸藩通志』(1806年)などが見られる。
^ a b 将軍家より松平姓を賜っている。「松平氏#外様大名」参照。

出典^ 漢字学者の白川静によると、「藩」という漢字の意味は「説文解字」では「屏なり」といい、藩屏(原義は垣根)を巡らして帝王を守護するように地方の属国を藩と呼んだのだという。例えば春秋左氏伝では「昔、武王、商に克つ。成王之を定め、明徳を選び建てて、以って周に藩屏とす」とあるという。白川「字通」平凡社、1298ページ
^ 例えば漢書・諸侯王表には「藩国の大なるものは、州に跨がり郡を兼ね、連城数百、宮室百官、制を京師に同じうす」とある。白川「字通」平凡社、1299ページ
^ 元来は「国の藩屏となる諸侯」の意味であった。白川「字通」平凡社、1299ページ
^ 『三百藩藩主人名事典』(新人物往来社)のように豊臣政権期にあたる関ヶ原の戦い当時に存在していた大名の領域およびその支配機構に対しても「藩」を用いている文献もある。更に遡って、江戸期まで存続した織田政権期の大名の支配機構についても「藩」を用いる文献がある。例えば、別所氏の但馬八木藩は1585年立藩であるが、立藩以前の1580年に自刃した別所家当主別所長治についても「藩主長治の(辞世は)『今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我が身と思えば』という一首であって一命にかえて藩民を救う切々とした訴えが胸を打つ」という用例がある(橋本哲二「新西国巡礼の寺」保育社)。また、1922年編纂の「青森県史」では青森県の歴史を「藩政時代以前」「藩政時代」「近世時代」の三年代に分け、津軽藩政時代として「元亀天正中、津軽為信蹶起し郡中を統一して以来」とし、津軽為信が家督を継いだ永禄10年(1567年)を以って「藩政時代」の記述の初めとしている。ただしこれは津軽藩立藩(1590年)以前の史料が極めて少なかったためであると青森県史編纂委員は序文で断っており、織田信長上洛以前の戦国大名を「藩」と称することは殆ど無い。
^ 『近世国家史の成立』藤野保著、2002年、吉川弘文館・『津藩』深谷克己著、2002年、吉川弘文館など
^ 『譜代大名の創出と幕藩体制』小宮山敏和著、2015年、吉川弘文館、P15より引用
^ a b c 目で見る 毛利家あれこれ ?毛利博物館収蔵資料と歴史ばなし?第254回 - 毛利博物館館長代理 柴原直樹(ほっぷ 2015年8月7日号 - 地域情報新聞社)
^ 例えば、毛利博物館に所蔵されている毛利敬親宛の任命書には「山口藩知事」と明記されている。
^ 森谷秀亮, 「明治初年における府藩県」駒沢史学, (14), 1-21 (1967).
^ a b 『江戸幕府崩壊論』藤野保著、2008年、塙書房

関連項目

藩の一覧

令制国令制国一覧

陣屋

国人

郷士

相給

外部リンク

江戸300藩の一覧|攻城団


主な江戸100藩|刀剣ワールド

藩一覧まとめ

諸藩一覧|維新の志士たち

大名家一覧|武鑑全集










大政奉還から廃藩置県までの間に存在した藩
慶応3年(1867年)旧暦10月 - 明治4年(1871年)旧暦7月
北海道地方

松前藩(館藩)

東北地方

黒石藩

弘前藩

八戸藩

●○盛岡藩(白石藩 → 盛岡藩)

盛岡新田藩(七戸藩

一関藩

久保田藩(秋田藩)

秋田新田藩(岩崎藩

亀田藩

本荘藩

矢島藩

出羽松山藩(松嶺藩)

仙台藩

鶴岡藩(大泉藩)

新庄藩

長瀞藩大網藩龍ヶ崎藩

天童藩

山形藩(朝日山藩)

上山藩

米沢藩

米沢新田藩(米沢藩)

福島藩重原藩

下手渡藩

二本松藩

会津藩(斗南藩)

中村藩

三春藩

守山藩松川藩

磐城平藩

湯長谷藩

泉藩

白河藩棚倉藩

関東地方

沼田藩

館林藩

伊勢崎藩

前橋藩

高崎藩

安中藩

吉井藩

七日市藩

小幡藩

大田原藩

黒羽藩

高徳藩曾我野藩

喜連川藩

烏山藩

宇都宮藩


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:45 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef