徳島藩は阿波国及び家臣で洲本城主の稲田氏が統治する淡路国を領有していた。徳島藩の銀札及び銭札は阿波国及び淡路国の両国で通用した。古いものでは、延宝8年(1680年)の年号が書かれた銀札が現存している。のち、幕府による札遣い禁止を経て、明治期まで札遣いが続けられた。明治4年(1871年)より新通貨に引き替えられた際の引替率は、一匁札及び百文札は8厘、三分札及び弐分札は2厘であった。
その他、洲本銀札場から銀一貫目から十匁までの高額面の銀札が発行された。 筑前国秋月藩は幕府から独立した藩として公認されてはいたが、福岡藩の分家として立藩した支藩である関係で、軍事・財政面で相互援助が行われていた。このため、藩札も相互に領内流通を認めていた。秋月藩の藩札発行は、福岡藩で発行された翌年の元禄17年(1704年)からであるが、各藩に下された札遣い停止の幕命により、わずか4年で回収された。しかし、幕許によって藩札発行が認められた享保15年(1730年)には早くも藩札の発行を再開している。明治維新後、新通貨に引き替えられた際の引替率は、五匁札は4銭2厘、壱匁札は8厘、弐分札は2厘であり、福岡藩よりも高い相場であった。
九州地方
秋月藩
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注釈
出典^ 朝尾直弘、辻 達也 編『日本の近世3』中央公論社、1991年、82頁
^ 日本全史 1991年3月15日 講談社
^ a b 阿達義雄「明治文学に現われた天保通宝
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話
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