藤岡弘、
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少年時代にヘビカエルを飲み込む姿を見て以来、ヘビがトラウマになっているという[6]

コーヒーを愛飲しており、1日に5、6杯は飲むという。自ら汲みにいくほどのお気に入りの富士山系の自然水を沸かして「ありがとう」「おいしくなれ」と呟きながら、時間をかけて1滴ずつゆっくりドリップし、抹茶のように茶せんでかき回して十分に空気を含ませてから嗜むという独自の手法が、テレビで紹介されている[20]。これ以外に、エチオピアで知ったという粗挽きしたコーヒー豆を薬缶で煮出すワイルドな飲み方を楽しむこともある[21]。自身のホームページではオーガニックの「藤岡、珈琲」やコーヒーカップなどを自身に関する各種グッズとともに販売している[22]

酒も嗜んでいたが、2013年8月4日に行われた平山亨の「お別れ会」に参列した際、同席した堀田眞三に「期するところがあって酒を辞めました」と明かしたことが伝えられている[23]

英会話を得意としており、アメリカ映画への出演を通じて知り合った映画監督のジェームス・キャメロンとは「キャメロン」「サムライ」と呼び合うほど、親交が深い[注釈 8]2009年5月に出版された『藤岡弘、の武士道入門』(並木書房)は、著者の小峯隆生が、ある日、来日中だったキャメロンと浅草で蕎麦を食べている際にキャメロンから「明日サムライに会いに行くんだ」と、藤岡を紹介されたことがきっかけで小峯が藤岡に「弟子入り」し、出版に至った書籍である。また、この中で藤岡は元アメリカ陸軍大尉で軍事評論家の飯柴智亮と対談を行っており、その際に飯柴からアフガニスタンの戦場で実際に使用した護身用ナイフを譲られている。

こうした藤岡のこだわりや暮らしぶりに関して2013年7月3日放送のバラエティ番組『ドラゴンレイディSP』[注釈 9]フジテレビ)では「自称、現代の侍と豪語する藤岡弘、」と紹介、「藤岡がコーヒー1杯を淹れるのに30分、車移動込みだと合計2時間かかった」と誇張や虚偽、揶揄を加えて事実と異なる内容を放送。「侍」と自ら名乗ったこともなく、コーヒーの時間も大げさで、ロケ場所などは番組側の指定によるものだった[24]。この事実についてフジは8月20日付けの同局の公式サイトで藤岡とその関係者、ならびに視聴者への「訂正とお詫び」のコメントを掲載[25]。所属事務所も公式ブログでこのことに関する公式コメントを発表している[26]。このトラブルをきっかけに、番組は打ち切りとなった。

「人間は窮地に追いやられたときに真価を発揮する」という考えを持っており、自身の作品も際どい生死を描いたものを好んで出演した[27]

歴史も好んでおり、坂本龍馬や織田信長など先人が困難をどう克服したかを知ることで、自身でも危険な仕事をやりたいと望むようになった[27]。また、坂本龍馬や織田信長を演じたいと強く願っていると、実際にその役が来たという[27]

映画『ラストサムライ』のオーディションのオファーを引き受けたが、結果としては起用されなかった。

藤岡は自身の生き方について、過去を振り返らず失敗しても自身で納得いくまで追求する姿勢であることを述べている。何事に対しても全力で取り組む姿が笑い者にされていることも認識しているが、他者からどう思われるかよりも自身で納得できるかどうかを重視している[28]。信念を貫くことで灰汁の強い役者になったと自認しており、それによりクライアントから敬遠されることもあったと述べている[29]

NHK大河ドラマにおいて、織田信長役を二度演じている。1度目は1981年の『おんな太閤記』で、二度目は1989年の『春日局』である。また、2023年の『どうする家康』では、信長の父親・織田信秀役で出演。藤岡は出演決定に合わせて、「かつて大河にて若い頃、二度も演じさせていただいた信長であり、その父親役は感慨深いものがある」「信長を育て上げた父親とはどんな人物か、いろいろ想像すると楽しくなります」とコメントしている[30]。また、同作で信長を演じる岡田准一については「これからの映像界を背負ってかれる楽しみな青年と思っております」と期待を寄せている[30]

芸名に読点(「、」)を付けるまで

1984年(昭和59年)、アメリカ映画『SFソードキル』に出演し、パリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞。日本人として初めて全米映画俳優組合員となった。この出来事がきっかけとなり、「昔の武将は一度"、"を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と、「『我未だ完成せず』との意味を込めて」芸名の最後に“読点”を付けることにした。その一方、「、」には「てんでダメな男」というシャレもかけられているという[31]
俳優以外の活動

27、28歳のころに、空手の先輩がブラジルで空手の指導を行っていた縁で、ブラジルの軍隊で1か月半ほど訓練を受けたことがある[27]。このとき教えられた銃器の扱いは、後に『野獣死すべし』など映画での銃を取り扱うシーンに活かされた[27]

お笑いコンビ、とんねるずダウンタウンのバラエティ番組に出演するようになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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