藤岡弘、
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2002年平成14年)に川口浩の後任として「藤岡弘、探検シリーズ」が開始されて以降、“藤岡隊長”が愛称になっている[6]

愛媛県[4][2]上浮穴郡久万町(現・久万高原町)出身[注釈 1]松山聖陵高等学校卒業。個人事務所である株式会社SANKIワールドワイド[7]所属。



略歴

1946年昭和21年)2月19日愛媛県警警察官で全国的にも知られた柔道家、家伝の流派の古武道である「藤岡流」を継承する武道家でもあった父と、茶道華道の師範だった母との間に生まれる。当時の生家は駐在所で、近所には四国八十八箇所霊場の第四十四番札所である菅生山 大覚院 大寶寺があり、母はよくお遍路さんに「お接待」を施してもてなしていたのが印象的だったとしている。生まれたばかりのころは病弱で、肺炎を患ったときには「もうダメだろう」と医師から告げられる中、「遺影に…」と写真が撮影されたほどだった。この時は母の献身的な看病で一命を取り留めるが、小学校に上がってからも、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な線の細い子供だった。6歳のころから病弱を心配した父から武道の手ほどきを受け、肉体と精神の修行・鍛練の中、病弱を克服する。少年時代から滝行も経験している[8]

小学校時代は、父の仕事の都合で転校が多く、よくいじめの対象にされた。そんなある日、我慢できなくなって相手に反撃し、重傷を負わせる。すぐさま母の知るところとなり、帰宅するなり仏壇の前に連れて行かれ、凄まじい形相で「あなたがこれ以上、人様に迷惑をおかけするんだったら、私があなたの命をいただきます。そして私もあなたの後を追います。それでよろしいですか?」と、母子心中も辞さない覚悟を示され、反省を促された。弁解しようとすると「ならぬものはなりません! 先祖の血を汚してはいけません、ちゃんと先祖に謝りなさい!」と、一切の反論を認めなかった。その迫力に、武道の怖さとともに母の本気を知り、猛省したという。また、父との思い出としては、家の道場の掃除を言いつけられ、窓の桟や畳の縁など「手抜き」をして掃除をさぼると、父はそれを見抜き、その場所を指でなぞるとそれを舐め「馬鹿者! お前は自分の心を掃除しているということを忘れたのか! 掃除というのは己の心を掃除することなのだ。心を清らかに、掃除をしたところを舐めてもいいくらいの掃除をお前はしてるのか」と、よく怒鳴られたと述べている[8]。また「一子相伝」とされる家伝の古武道について、「人に見せるな、教えるな、商いにするな」と、特に厳しく申し渡されていたという[9]

1957年(昭和32年)、小学校6年の時に父が突如失踪。その日から家族の暮らしは貧しさを極め、3度の食事にも事欠き、学校に給食費すら納められない状況に陥る。藤岡はこのころからアルバイトで生活を支える一方、惨めな生活を誰にも相談できず、後年まで父を許すことができなかったと語っている[注釈 2][10]

1961年、松山聖陵高等学校に入学。柔道部に在籍して主将を務めた。長身でその容姿・容貌が一際目立つこともあり、よく不良にからまれた。ある日、「5人以上はいた」という不良にからまれ、相手の攻撃は全て見切った上で、かわしたり間合いを外したりしていたが、止まらないために堪忍袋の緒が切れて、集団に1人で反撃する(逃げた者もいたが、全て撃退した)。ただ、武道を通じて我慢することや耐えることが日常だったため「堪忍袋の緒は(人より)長いですよ。物凄く我慢強いですよ」と語っている[11]

1964年劇団NLT俳優教室に入所。1965年には松竹映画ニューフェイスとして入社[4]香山美子都はるみの主演映画『アンコ椿は恋の花』(監督:桜井秀雄)でデビュー[4][2]。同年、『若いしぶき』(監督:八木美津雄)で初主演[2]

1970年、アクションドラマ『ゴールドアイ』(日本テレビ系・東映制作)第12話「密売大組織」(5月1日放送分)より、「藤弘」役としてレギュラー出演。のちに『仮面ライダー』で共演する千葉治郎も同じ回からレギュラー入りしている。

1971年(25歳)、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』(毎日放送 - NET系・東映制作)に、主人公・本郷猛 / 仮面ライダー役で出演。最高視聴率30%の大ヒットとなり、一躍人気スター俳優となる。この年、五社協定が事実上の崩壊となり、出演決定を契機に松竹との専属契約を正式に打ち切る。

1972年NHKドラマ『赤ひげ』のオーディションを受けて合格したが、『仮面ライダー』の制作元である東映・毎日放送には無断でのことだったため、トラブルが発生。『赤ひげ』への出演は見送られることになった[注釈 3]。藤岡は一時失踪。このことは『仮面ライダー』の第66 - 68話と劇場版『仮面ライダー対じごく大使』の制作に影響を及ぼしている(詳細は『藤岡弘の失踪と制作中断』を参照)。

同年7月1日、ファンクラブ「藤岡弘友の会」が発足[12]


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