1984年(昭和59年)、アメリカ映画『SFソードキル』に出演し、パリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞。日本人として初めて全米映画俳優組合員となった。この出来事がきっかけとなり、「昔の武将は一度"、"を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」という覚悟と、「『我未だ完成せず』との意味を込めて」芸名の最後に“読点”を付けることにした。その一方、「、」には「てんでダメな男」というシャレもかけられているという[31]。 27、28歳のころに、空手の先輩がブラジルで空手の指導を行っていた縁で、ブラジルの軍隊で1か月半ほど訓練を受けたことがある[27]。このとき教えられた銃器の扱いは、後に『野獣死すべし』など映画での銃を取り扱うシーンに活かされた[27]。 お笑いコンビ、とんねるずやダウンタウンのバラエティ番組に出演するようになる。とんねるずは、『オールナイトフジ』で藤岡と初共演した際には狂喜乱舞、『とんねるずのみなさんのおかげです』では『仮面ライダー』のパロディ『仮面ノリダー』を演じる。また、『とんねるずの生でダラダラいかせて』では藤岡とカートレース対決を行っている。ダウンタウンは自身の番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』の1コーナー「藤岡弘と遊ぼう!」で藤岡と共演。鬼ごっこ、ドッジボール、ハンカチ落としなどの遊びを展開している。 世界各地の紛争地帯や被災地などへの救援ボランティアとしても精力的に活動している[4]。1993年の北海道南西沖地震の際には「映画撮影の際にお世話になったので」と水などの援助物資を持てるだけ持って奥尻島に駆けつけ、当時の新聞もこの行動に「仮面ライダーは実在した」と大きく記事になった。また、2011年(平成23年)の東日本大震災の際にも、被災地へ1トンの米を寄付している[32]。 雑誌、新聞で統一教会との関連性が1990年ごろより報道されるようになる。1992年(平成4年)9月、「東京スポーツ」などで「統一教会の信者」と報じられた。詳細は統一教会の名を隠した自己啓発セミナーの広告塔になっていただけであり、本人は全く関与がなかった[要出典]。 「梁山泊空手道連盟[33](代表:富樫宜弘[注釈 10])」を中心に結成された「眞日本武道空手道連盟[34]」・名誉会長に1998年就任。 コーヒー豆などのインターネット販売を行っている(「人物」の項を参照)。 藤岡が上京したときは、養成所に入る予定はあったものの確かな当ては何もなく、泊まる場所もないため上智大学の横の土手で野宿するなどしていた[35]。藤岡は後年のインタビューでこのころを振り返り、たった一人きりで世間と向き合う自身にとっては世間そのものがショッカーのようであったと述べている[35]。 養成所入所後も東京の流れの速さについていくのが精一杯であり、周囲が優秀であったため劣等感を感じていた[35]。
俳優以外の活動
エピソード
上京・デビュー当初