1999年、10月からNHK連続テレビ小説『あすか』に竹内結子演じるヒロインの父親役で出演。11月には「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」に招かれている。
2001年11月(55歳)、24歳年下の一般女性と再婚。同年12月には長女・愛理(天翔愛)が誕生している。
2002年、川口浩の後任として、藤岡が2代目隊長に起用された「藤岡弘、探検隊シリーズ」が開始。
2007年8月23日、知人から融資実態がないにもかかわらず、2億円の抵当権を設定され、民事訴訟を起こされる。最高裁の決定により藤岡への4億5000万円の支払い命令が確定する[注釈 6]。
2008年、テレビ愛知 - テレビ東京系『トミカヒーロー レスキューフォース』の劇場版『トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!』(監督:岩本晶、制作:ドッグシュガー、制作・配給:松竹)では、俳優としての古巣である松竹作品で、レスキューフォースR0こと世界消防庁長官・刑部零次役で出演[2]。「37年ぶりに仮面ライダー以外のヒーローに変身する」として話題となった。この役についても、藤岡自身から「謎の男っぽさや過去の出来事をイメージ」して顔や手の傷、衣装、「変身後は(汚しや傷を入れて)少し古いデザインのスーツに変えてもらえないか」などスタッフに役作りのアイデアが出されている[注釈 7]。また『レスキューフォース』の続編である『トミカヒーロー レスキューファイアー』(2009年4月 - 2010年3月、テレビ愛知 - テレビ東京系)でも同じ役を演じた[2]。
2014年1月23日、33年ぶりに『徹子の部屋』にゲスト出演[13]。この中で敬愛する母が2013年の春に103歳で他界したことを報告した。下積み時代には自分の着物を質草にし、『SFソードキル』でのハリウッド進出の際には既に高齢だったにもかかわらず自ら現地に足を運ぶなど、明治生まれの気丈さで藤岡をまさに物心両面で支え続けた。亡くなる直前まで意識が鮮明で「子供のことを考えて生きるように」と藤岡を諭した後、眠るように息を引き取ったという[14]。
同年5月13日、自ら企画したフジテレビ系のドキュメンタリー番組『海を越えた侍たち?藤岡弘、がブラジルで見つけた日本人の心?』[15]の取材・収録のため訪伯中、過去5回の訪伯でのボランティア支援で日本とブラジルの国際交流に貢献したことや、日系人社会を正しく伝えるための番組作りなどが評価され、ブラジル連邦議会より「感謝表彰」、名誉下院議員より「大十字勲章」が授与された[16]。
2015年、ベストジーニスト2015(協議会選出部門)を受賞[17]。
人物
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}自宅地下には自身の主宰する「藤岡道場」を開設しており、現在の門下生は約20名である[要出典]。
大好物は自然薯で、特に掘りたてを水で洗い、そのまま食べるのを好んでいる。煮物やホヤの酢の物など和食全般のほか、クリや羊羹などの甘い物も好物。嫌いなものはホワイトアスパラガスで、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王選手権」で明らかになった。
所持している資格は調理師免許、普通自動車免許、小型船舶操縦士、大型特殊自動車免許、大型自動二輪免許、自家用操縦士免許、スキューバダイビング、無線従事者免許(アマチュア)、鉄砲、パワーボート免許、抜刀道四段、柔道三段、空手初段、小刀護身道四段、居合道初段など[7]。このうち、大型自動二輪については750ccに乗ろうと教習所無しで受けた試験に3回の不合格を経て4回目で合格し、『仮面ライダー』の放送終了後に初めてホンダ・CB750を購入したそうである[19]。この資格の多さは『幸せ!ボンビーガール』に出演した際にも特集された。