藤子不二雄
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「藤子不二雄」名義で発表された代表作は上記の他、安孫子単独作の『忍者ハットリくん』(1964年)、『怪物くん』(1965年)、『まんが道』(1970年)、『プロゴルファー猿』(1974年)、藤本単独作の『ドラえもん』(1969年)、『キテレツ大百科』(1974年)、『エスパー魔美』(1976年)など多数。

事実上コンビとしての活動期間は約36年に及び、“他人同士が組んだ漫画家”としては、2015年ゆでたまごが更新するまで日本の漫画家で最長だった(プロデビュー前の活動を含めれば40年以上)。
プロフィール
藤本 弘(ふじもと ひろし)

1933年12月1日 - 1996年9月23日、O型[1]

富山県高岡市出身[1]

自画像の特徴はベレー帽パイプ、長身。

1989年以降の名義:藤子・F・不二雄(ふじこ・エフ・ふじお)

1988年3月から1989年1月までの1年弱は「藤子不二雄?」(ふじこ ふじお エフ)[2][1][注釈 3]


漫画制作会社:藤子スタジオ→藤子プロ→藤子・F・不二雄プロ(通称藤子プロ)

安孫子 素雄(あびこ もとお)

1934年3月10日 - 2022年4月6日[3]、A型[1]

富山県氷見市出身[1][注釈 1]

自画像の特徴はメガネ。

1988年以降の名義:藤子 不二雄?(ふじこ ふじお エー)

漫画制作会社:藤子スタジオ

ペンネーム

ペンネーム (または著者名)の変遷[注釈 4]年.月藤本弘合作安孫子素雄
1951.12-
1952.4「あびこもとお・ふじもとひろし」
1952.11-足塚不二雄
1953.7-
1988.2藤子不二雄
1988.2-藤子不二雄?藤子不二雄?
1989.1-藤子・F・不二雄「藤子・F・不二雄 藤子不二雄?」
または「藤子・F・不二雄」
または「藤子不二雄?」[注釈 5]

独立後の合作の名義


合作も含むほぼ全作品が、独立後はどちらかの単独名義扱いとなったため、合作である旨が明記されずに出版されている合作が多数存在する(例として『
パーマン』、『新オバケのQ太郎』、『わかとの』、『きえる快速車』の他、互いに作画を手伝った1950年代の作品など)。

独立後も共作扱いとなった合作の単行本は「藤子不二雄」名義でしばらく発行されたが、やがて再版時等に「藤子・F・不二雄 藤子不二雄?」名義で発行されるようになった(新装版『
オバケのQ太郎』、復刻版『UTOPIA 最後の世界大戦』、書籍の共著など)。

藤本の再改名
藤本の「藤子・F・不二雄」への再改名は石ノ森章太郎の薦めによる。それまでは背表紙の?や?が小さく判別が難しかったが、その後安孫子も?を通常の大きさで表示するようになり、違いが判別しやすくなった。
来歴漫画家・藤子不二雄の活動状況とペンネーム(新作発表時)の変遷。
デビューと単行本の上梓

終戦前の1944年に10歳で出会った藤本と安孫子は、漫画が好きという共通点からすぐに意気投合。


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