藤原高子
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

反面、実際の入内は天皇が幼少であったこともあり五節舞から7年も後で、長良のもう一人の弟である藤原良相の娘である藤原多美子よりも遅れることになった[1]

貞観10年12月16日869年1月2日)、貞明親王(後の陽成天皇)を産む。貞観11年1月8日従四位下、貞観13年1月8日従三位に叙される。貞観18年(876年)の陽成天皇の即位にともない、元慶元年(877年皇太夫人となり中宮職が付与され、元慶5年(881年従一位、さらに元慶6年(882年)には皇太后の尊称を受けた。

しかし、時の権力者で同母兄である摂政藤原基経や、異母姉でかつ源定省(のちの宇多天皇)の養母だった尚侍藤原淑子と高子は折り合いが悪かった。在原文子(清和の更衣)の重用を含めた高子側の基経を軽視する諸行動が、基経をして後に外戚関係を放棄してまでも高子・陽成天皇母子を排除させるに至ったとの見方もある[2]。ただし、在原文子を更衣としてその間に皇子女を儲けたのは清和天皇自身である。高子が清和天皇との間に貞明親王(陽成天皇)・貞保親王敦子内親王を儲けたにもかかわらず、清和は氏姓を問わず数多の女性を入内させ多くの皇子を儲けていたことから、基経も母方の出自が高くない娘頼子を入内させ、さらに同じく出自の低い佳珠子を入内させて自らの外孫の誕生を望んだために、高子の反発を招いたと見ることもできる。そこに藤原淑子の暗躍を見る説[3]もある。

元慶8年(884年)、陽成天皇は退位した。表向きの理由は病とされたが、天皇が乳母子源益を撲殺して帝徳を欠いたこと。

こういった経緯もあり、陽成天皇が退位するに際し、高子の子であり陽成の弟である貞保親王は次の天皇として選ばれず、時康親王光孝天皇)が選ばれることになった。また、光孝天皇の容体が悪化した際にも貞保親王ではなく、次期天皇として源定省(宇多天皇)が選ばれることになった。一旦であろうとも皇籍離脱・臣籍降下していた皇子が天皇位に就くことは前例にない。

寛平8年(896年)宇多天皇の時代、元慶年間に自らが建立した東光寺の座主善祐と密通したという疑いをかけられ、皇太后を廃され、翌年天皇の生母班子女王が皇太夫人から皇太后に進んだ。没後の天慶6年(943年)に朱雀天皇の詔によって(詞を濁して)復位されている。

伊勢物語』、『大和物語』などを史実とする見解からは、入内する以前に在原業平と恋愛関係があったと推測されている。また、高子の入内が遅れた原因として単なる清和天皇の年齢の問題だけでなく、業平との関係が知られて後見である良房が実際の入内を躊躇した可能性も指摘されている[1]

古今和歌集』に一首採録(歌番号4番)。
脚注[脚注の使い方]^ a b 鈴木琢郎「摂関制成立史における「応天門の変」」『日本古代の大臣制』(塙書房、2018年) ISBN 978-4-8273-1298-0 (原論文:2015年) P346-348.
^ 瀧波貞子「陽成天皇廃位の真相」(朧谷壽・山中章 編『平安京とその時代』(思文閣出版、2009年 ISBN 978-4-7842-1497-6)所収)
^ 角田文衛の説










皇太夫人一覧


藤原宮子

高野新笠

藤原順子

藤原明子

藤原高子

班子女王

藤原温子

カテゴリ










皇太后一覧
伝承の時代

古墳時代

媛蹈鞴五十鈴媛命

五十鈴依媛命

渟名底仲媛命

天豊津媛命

世襲足媛

押媛

細媛命

欝色謎命

伊香色謎命

御間城姫

八坂入媛命

両道入姫命

気長足姫尊

仲姫命

忍坂大中姫

手白香皇女

春日山田皇女

橘仲皇女

石姫皇女

飛鳥時代

皇太后なし

奈良時代

藤原安宿媛749-760

紀橡姫771贈

平安時代

高野新笠790贈

藤原乙牟漏806贈

藤原旅子823贈

橘嘉智子823-833

正子内親王833-854

藤原順子854-864

藤原明子864-882

藤原高子882-896

藤原沢子884贈

藤原胤子897贈

班子女王897-900

藤原穏子931-946

藤原安子967贈

昌子内親王973-986

藤原懐子984贈

藤原詮子986-991

藤原遵子1000-1012

藤原超子1011贈

藤原彰子1012-1018

藤原妍子1018-1027

藤原嬉子1045贈

禎子内親王1051-1068

章子内親王1068-1069

藤原寛子1069-1074

藤原茂子1073贈

藤原歓子1074-1102

藤原賢子1087贈

藤原苡子1107贈

藤原聖子1141-1150

藤原多子1156-1158

源懿子1158贈

藤原呈子1158-1168

平滋子1168-1169

藤原忻子1172-1209

鎌倉時代

源通子1243贈

南北朝時代

南朝

西園寺禧子1333

阿野廉子1339-1351

北朝

皇太后なし


室町時代

庭田朝子1504贈


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:19 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef