山城守・藤原守仁の娘との間に第一子の権大納言道頼を儲けたが、道隆は貴子(高内侍、高階成忠の娘、儀同三司母)との間に生まれた、内大臣伊周・中納言隆家・権大僧都隆円・皇后定子ら諸子女を嫡系として優遇した。これは貴子が定子を始めとする「后がね(天皇の后候補)」となる娘を4人産んだ事が大きいと思われる。隆家の子孫からは水無瀬家と坊門家が堂上家に列した。坊門家は室町時代に断絶となったが、水無瀬家は分家も含めて羽林家として5家を輩出して明治維新まで続き、各家は子爵に列せられた。
西郷隆盛も隆家流菊池氏の末裔と称しており、西郷家の「隆」は道隆に由来すると考えられる。
父:藤原兼家
母:藤原時姫 - 藤原中正の娘
妻:高階貴子(?-996) - 高階成忠の娘
三男:藤原伊周(974-1010)
長女:藤原定子(977-1000) - 一条天皇皇后
四男:藤原隆家(979-1044)
次女:藤原原子(980?-1002) - 三条天皇女御
男子:隆円(980-1015) - 延暦寺権大僧都、号:小松僧都
三女:藤原頼子? - 冷泉天皇皇子敦道親王妃
四女:一条天皇御匣殿(985?-1002)
妻:藤原守仁の娘(?-988)
長男:藤原道頼(971-995) - 藤原兼家の養子
妻:伊予守奉孝の娘
男子:藤原周家(?-1038)
男子:藤原周頼(?-1019)
妻:藤原国章の娘 - 藤原兼家妾の対御方と同人
五女:藤原妍子女房
妻:橘清子(橘典侍)[3] - 一説に橘好古の娘
男子:藤原好親
妻:不詳
次男:藤原頼親(972-1010)
女子:平重義室
関連作品
テレビドラマ
『光る君へ』(2024年、NHK大河ドラマ、演:井浦新)
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 当時は冠や烏帽子など被り物を常時着けるのが礼儀であり、無帽の頭を晒すことは非常に恥ずべきことだった。ましてや始めから無帽で人前に出ることは、はなはだ礼を失したふるまいとされた。
^ 当時猛威を振るった疱瘡のため、済時や朝光がいずれも道隆と相前後して亡くなったのは史実であるが、道隆は済時に一ヶ月半以上先立って死没しており、道隆臨終のとき済時に死期が迫っていたかどうかも判らないことから、この逸話の真偽はいずれとも決しがたい。
出典^ 小山聡子「平安時代におけるモノノケの表象と治病」小山聡子 編『前近代日本の病気治癒と呪術』思文閣出版、2020年、152-153頁。ISBN 978-4-7842-1988-9。
^ 『小右記』長元2年9月13日・18日条[1]
^ 『権記』寛弘8年12月26日条
表
話