夫である惟仲の没後は好明寺に隠棲したが[1]、甥(元の義弟)である道長からは敬意を払われており、清少納言が『枕草子』(151段)で「羨ましげなるもの」として「内裏・春宮の御乳母」を挙げているのも繁子の存在が念頭にあったからとみられている[2]。
脚注^ a b c d e 西村さとみ「藤原繁子」『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞社、1994年) ISBN 978-4-02-340052-8
^ a b c d e 野々村ゆかり「摂関期における乳母の系譜と歴史的役割」初出:『立命館史学』624号、2012年/所収:倉本一宏 編『王朝時代の実像1 王朝再読』(臨川書店、2021年) ISBN 978-4-653-04701-8 2021年、P327-328.