藤原啓治
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主な出演作に、アニメでは『クレヨンしんちゃん』(野原ひろし)、『鋼の錬金術師』(マース・ヒューズ)、『交響詩篇エウレカセブン』(ホランド・ノヴァク)などがあり、吹き替えでは『チャーリーとチョコレート工場』(ウィリー・ウォンカ)、ロバート・ダウニー・Jr(『マーベル・シネマティック・ユニバース』(トニー・スターク / アイアンマン)、『シャーロック・ホームズ』(シャーロック・ホームズなど)、ゲームでは『ファイナルファンタジーVII』(レノ)などがある[4][8][11][12]
生涯

出生地は東京都だが、育ちは岩手県であり、藤原本人も「ほぼ岩手人」と発言していた[13][出典無効]。

子供の頃は人見知りで引っ込み思案であり、1人で遊ぶことが多かったという[14]。野球の試合を1人でしており、一番バッターから九番バッター、相手チームまで選手のキャラクターをそれぞれ変えて自分でしていたという[14]。中学時代は野球部に所属、高校時代は硬式テニス同好会を自ら結成[14]

役者を志そうと思ったきっかけは「自分の名前ではできないことを、役名を与えられることによってできるから」と語っていた[15]。17,18歳の時に、漠然と「舞台をやってみたい」と思い、中学、高校の頃に学校でしていた演劇鑑賞会を観て、芝居に興味が湧いたという[16]

専修大学北上高等学校卒業[5]。当初は大学進学をしようと思い、いろいろな学校が載っている雑誌を見ていたところ、演劇の学校を発見し「こっちのほうがやる気が出る」と感じ、父の反対を押し切って文学座付属演劇研究所[2]に入った[17]。しかし、半数近くが学生で両立が出来ることを知って、進学しなかったことを後悔し、キャンパスライフを満喫する同年代の大学生を羨ましく思いながら見ていた[18]

その後劇団木山事務所に所属し[9]、舞台、映像の仕事をしていた[16]。20代半ばまで舞台俳優として活動していたが、劇団では飯が食べていけず、23、24歳の頃、家庭の事情から芝居を続けるかどうか、判断が迫られる問題に直面し、焦りのようなものを感じ始める[16][17]。親戚からは「いつまでも夢を追いかけてないでさあ」などと言われ、「これじゃいつまでたっても同じことの繰り返しだ。早く何とかしなくては」と考えるようになる[17]。そこで劇団で同期だったかないみかの紹介で賢プロダクションにボイスサンプルを持っていったところ「どうぞ」と、入所し、声優業を開始した[16][17][19]。その頃は、人並みにアニメ、漫画を見る機会はあったが、学生の頃で止まっていたため、声優、アニメへの知識は全く無知だったという[16]

声優としてのデビュー作品について、本人は「忘れた…」と述べている[7]。ほぼ同時期にデビューした森川智之によると「(森川が)一番最初のアニメシリーズの時に彼がアニメーションで初めてスタジオに来てあの風貌でひょうひょうとやっていた」と証言している[20]。声優としての初仕事の現場には「アフレコには既に慣れている」と通されていたので初仕事と言えず、業界のルールや用語が理解できず苦悩したことを語っており[17]、ノイズがマイクに入ったりセリフが絵に合わないという新人にありがちなミスを連発していたが、決して動揺を見せないように振る舞っていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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