藤が丘_(名古屋市)
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とりわけ地下鉄駅が開業した頃は「こんな山の中に地下鉄がくるなんて」と地元民が思うほどに周囲一帯は山林で、集落はまばらだったという[8]

この地域には古来より農業を生業とする集落が存在したものの、標高の高い台地地形が災いして田畑への利水に苦労する土地であったために、その規模はきわめて小さかった。江戸時代には新田開発が盛んに行われるようになり、現在の藤が丘の地名の由来のひとつとなる藤森新田が開かれたが、やはり山間丘陵の土地ゆえに、開墾はあまり進まなかった[9]。しかしながら、当時から灌漑用水として利用されていた多くの沼や池が、江戸幕府や尾張藩によって修復・再整備されたことで、干ばつに耐えうる農業生産が可能になり、農民の定住を促す一因になったことが伝えられている[9]

1872年には名古屋県が廃止され愛知県が誕生したことをきっかけに、この地域は大規模な区域の再編成がおこなわれた。さらに1889年に市制町村制にもとづいて名古屋市がつくられた際、現在の藤が丘と呼ばれる地域を含む藤森村の一帯は愛知郡猪子石村と呼ばれることになった。さらにその後、政府は地方自治体の合併政策を推進したため、猪子石村は隣接した村と合併され、1906年猪高村となった[10]

この明治時代に生まれた猪高村では、やはりそれ以前から変わらぬ農業を基盤とした生活が営まれていた。作物は米・麦・さつまいも・野菜だけではなく、江戸時代から煙草の葉も生産されていた。しかしやがて煙草は政府の専売制が取られることになり、1943年頃までには耕作する農家はなくなったと記録されている[11]。他には養蚕もほとんどの農家で行われていたが、食料生産を優先したことで、これも1945年頃までにはほとんど面影が見られなくなった[11]。この地域では、数人の大地主による無数の小作人からの収奪が行われ、貧富の差が激しかったが、1947年農地改革によって生活水準は平均化された。同時に戦後の商工業の発達にともなって名古屋市内の工場や商店に働きに出るもの、官公庁に勤めるものも増え、徐々に農業だけに依らない地域経済が形成されていくことになった[12]

こうしてかつては野山であった現在の藤が丘一帯は、徐々に市街地として整備されていくことになったが、1955年4月5日に猪高村が名古屋市と合併したことによって、その都市化の動きは決定づけられ、また加速された。この合併は、2-3ヶ月というきわめて短期間のうちに取りまとめられ、村民への調査でも全員が賛成であったという。この合併が無条件に推進された背景には、名古屋市に組み込まれることで市バスが到達し交通の便が改善されること、さらには「合併に憧れみたいなものがあった」ことが挙げられると当時の関係者たちが語っている[13]。この合併の結果、猪高村は千種区猪高町となり、地域経済だけではなく行政区域としても名古屋市に組み込まれ、上下水道、さらには多くの市営住宅が整備されていくことになった。こうして1969年頃には名古屋市の人口が200万人を突破し、東部のベッドタウンとしての役割を猪高町は担うことになった。

この地域で進められた区画整理事業は、整地後も農業を続けることができる案と、すべてを宅地として造成する案の二つが考えられていたが、「当時の人々は、どうしたら生活が豊かになるか、素朴に考えた」結果、後者の宅地化案が選択された[14]。こうして生業としての農業はこの地域から失われていくことになった。ただしこの点については、都心部へ通勤するものが多くなり、多くの農家で後継者がいなくなったことも宅地としての区画整理を推し進めた要因として考えられる、と他の関係者によって指摘されている[14]。1960年代以降の区画整理においては、急速に進行するモータリゼーションを考慮に入れ、どの宅地にも車が入ることができるように、比較的広い道路を確保したという[15]

このような一連の流れの中で、1969年の地下鉄東山線の延長に伴う藤ヶ丘駅の開設、さらにはほぼ同時期の1968年東名高速道路名古屋インターチェンジが設置が続き、広域の藤が丘一帯は名古屋市のベッドタウンとしてだけではなく、東の玄関口として急速に都市化が進行していくことになった。藤が丘には藤が丘市街地住宅など、多くの公団住宅が建設された[16]

その結果、冒頭に記したように、1970年には藤が丘という町が生まれることになったが、その町名は「大字藤森の「藤」をとるとともに高速度鉄道の終点藤ヶ丘駅の所在地である」ことに由来している[5]

1975年2月には、千種区の東部が人口の著しい増加に伴って名東区として分離独立したため、藤が丘も千種区から名東区へと所属を改め、現在に至っている[17]

長らく、町名の「藤が丘」と地下鉄駅名の「藤ヶ丘」は表記が不一致だったが、2004年10月6日には駅名が「藤が丘」に改称されたことで、現在は一致している。しかしながら、駅周辺の看板などを見ると、町名に合わせて「藤が丘」になっているもの、(旧)駅名に合わせて「藤ヶ丘」になっているものが混在している。これも藤が丘の歴史を示す名残と言える。
世帯数と人口

2019年(平成31年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

町丁世帯数人口
藤が丘857世帯1,376人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移1995年(平成7年)1,368人[WEB 7]
2000年(平成12年)1,275人[WEB 8]
2005年(平成17年)1,348人[WEB 9]
2010年(平成22年)1,492人[WEB 10]
2015年(平成27年)1,540人[WEB 11]

学区

市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 12]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 13]

番・番地等小学校中学校高等学校
全域名古屋市立藤が丘小学校名古屋市立藤森中学校尾張学区

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[全画面表示]略地図
1 藤が丘中央商店街
2 藤が丘effe
3 はせがわ眼科医院
4 はせがわ内科医院
5 まじま眼科
6 伊藤歯科医院
7 わたなべメンタルクリニック
8 藤が丘デンタルクリニック
9 浅井歯科医院
10 東海歯科医療専門学校
11 名古屋市立藤が丘小学校
12 藤が丘保育園
周辺の施設

藤が丘中央商店街
: アーケードを中心とした商店街

藤が丘effe(エフ) : リニモ広場跡地に再建された商業ビル

はせがわ眼科医院

はせがわ内科医院

まじま眼科

伊藤歯科医院

わたなべメンタルクリニック

藤が丘デンタルクリニック

浅井歯科医院

東海歯科医療専門学校


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