薩英戦争
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文久3年5月9日(1863年6月24日)、イギリス公使代理のジョン・ニール幕府から生麦事件の賠償金10万ポンドを受け取った。

6月22日8月6日)、ニールは薩摩との直接交渉のため、7隻の艦隊(旗艦ユーライアラス」(艦長・司令J・ジョスリング一等海佐 (Captain)[注釈 5])、コルベットパール」(艦長J・ボーレイス一等海佐 (Captain)[注釈 5])、同「パーシュース」(艦長A・キングストン海尉 (Lieutenant-Commander)[注釈 6])、同「アーガス」(艦長L・ムーア海尉 (Lieutenant-Commander)[注釈 6])、砲艦「レースホース」(艦長C・ボクサー海尉 (Lieutenant-Commander)[注釈 6])、同「コケット」(艦長J・アレキサンダー海尉 (Lieutenant-Commander)[注釈 6])、同「ハボック」(艦長G・プール海尉 (Lieutenant)[注釈 6])、指揮官:イギリス東インド艦隊司令長官オーガスタス・レオポルド・キューパー海軍少将)と共に横浜を出港。6月27日8月11日)にイギリス艦隊は鹿児島湾に到着し鹿児島城下の南約7kmの谷山郷沖に投錨した。薩摩は総動員体制に入り、寺田屋騒動関係者の謹慎も解かれた。

6月28日8月12日)、イギリス艦隊はさらに前進し、鹿児島城下前之浜約1km沖に投錨した。艦隊を訪れた薩摩の使者に対しイギリス側は国書を提出。生麦事件犯人の逮捕と処罰、および遺族への「妻子養育料」として2万5000ポンドを要求した。島津家は回答を留保し翌日に鹿児島城内で会談を行う事を提案している。

6月29日8月13日)、イギリス側は城内での会談を拒否、早急な回答を求める。

島津家は「生麦事件に関して責任はない」とする返答書をイギリス艦隊に提出し、イギリス側の要求を拒否した。イギリス艦隊は桜島横山村小池村沖に移動した。

一方、奈良原喜左衛門らはイギリス艦が薪水・食料を求めたのに対して奇襲を計画し、海江田信義、黒田清隆大山巌らが国書に対する答使と果物スイカ売りに変装し艦隊に接近した(西瓜売り決死隊)。使者を装った一部は乗艦に成功したが、艦隊側に警戒されてほとんどの者が乗船を拒まれたため、奇襲作戦は中止され、奈良原らは退去した。

7月1日8月14日)、ニール代理公使は島津家の使者に対し、要求が受け入れられない場合は武力行使に出ることを通告した。島津家は開戦を覚悟し、当主・島津茂久と後見役・島津久光は、鹿児島城が英艦隊の艦砲の射程内と判断されていたため、新たに本営と定めた鹿児島近在西田村(現・鹿児島市常盤)の千眼寺に移った。併せて上町・下町の町人地域にも避難指示を諭達した。
戦闘について

イギリス艦隊の旗艦には、幕府から得た賠償金が積まれていたが、イギリス側は島津家との賠償金の交渉を有利にするために薩摩汽船3隻を掠奪した[11]。これに激発した薩摩方の砲台(11台、砲は89門[12])との間で戦闘が開始された。
戦闘詳報イギリス艦隊と薩摩砲台の戦闘

7月2日(8月15日) - 夜明け前、「パール」、「アーガス」、「レースホース」、「コケット」、「ハボック」の艦隊5隻は、薩摩の蒸気船の天佑丸 (England)、白鳳丸 (Contest)、青鷹丸 (Sir George Grey) を重富の脇元浦(現在の姶良市脇元付近)において、これら3隻の舷側に接舷するとイギリス艦から50, 60人の兵が乱入した[13]。薩摩蒸気船の乗組員が抵抗すると、銃剣で殺傷するなどして3隻の乗組員を強制的に陸上へ排除して船を奪取した[14]。このとき、天佑丸の船奉行添役五代才助(五代友厚)や青鷹丸の船長松木弘庵(寺島宗則)も捕虜として拘禁された[15]

午前10時、捕獲された3隻は[16]、「コケット」、「アーガス」、「レースホース」の各艦の舷側に1隻毎に結わえられて牽引され、桜島の小池沖まで曳航された[17][3]。これをイギリス艦隊の盗賊行為と受け取った薩摩方は7箇所の砲台台場)に追討の令を出す[3]当時の新聞による戦況図

正午、湾内各所に設置した砲台の中で薩摩本営に最も近い天保山砲台 (Battery Point) へ追討令の急使として大久保一藏が差し向けられ、到着する間もなく旗艦「ユーライアラス」に向けて砲撃が開始された。一方、対岸の桜島側の袴腰砲台(桜島横山)は城下側での発砲を知ると、眼下のイギリス艦「パーシュース」に対して砲撃を開始した。この砲台の存在を知らなかった「パーシュース」の艦長は、砲台からの命中弾に慌てふためきの切断を下令すると艦はその場から逃走した[18][3]

不意を突かれたキューパー提督は艦隊の戦列を整えるために、桜島小池沖の艦隊5隻へ「ハボック」一艦のみを残し、薩摩船3隻の焼却命令を信号により発令した[18]


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