『新撰姓氏録』左京諸蕃下・和薬使主条には、以下の記事がある。出自は呉国の主である照淵の孫、智聡である。天国排開広庭天皇(諡は欽明)の御世に、使者の大伴佐弖比古に随って、内外の典・薬書・明堂図など百六十四巻、仏像一体、伎楽調度一具などを持って入朝した。 ? 新撰姓氏録
和薬使主が奉じて始祖とした呉人智聡は、呉国の主「照淵」の孫とあるが、「照淵」という名の指すところは不詳である。栗田寛は、日本語では「照淵」と「蕭衍」は同音
であり、両方とも音読では「しょうえん」となること、また南朝梁と倭国はしばしば交通があったことなどから、「照淵」は南朝梁の皇帝「蕭衍」の誤りではないかと指摘している(ただし実際に智聡が蕭衍の子孫であるかはまた別の問題である)[6]。智聡は百済に移り住んだ南朝梁の移民で、欽明天皇の治世にさらに百済から日本に居を移した可能性があり、智聡は日本に赴く時に、「内外の典・薬書・明堂図など百六十四巻、佛像一体、伎楽調度一具」を持って行き、その後裔が「本方書一百三十巻、明堂図一、薬臼一及び伎楽一具」を朝廷に献上した[7]。呉人智聡の一族では、その子である善那使主が最も有名であり、650年(白雉1年)の孝徳天皇の時に、善那使主が孝徳天皇に牛乳を献じて和薬使主の姓を賜り、その子孫は典薬寮において乳長上という職名を与えられたという[7]。 蕭整
南朝斉 蕭雋 蕭? 南朝梁
蕭楽子 蕭副子
(追)宣帝
0蕭承之 蕭道賜
(追)景帝
0蕭道生 (1)高帝
0蕭道成 (追)文帝
0蕭順之
(5)明帝
蕭鸞 (2)武帝
蕭? 長沙王
蕭懿 (1)武帝
蕭衍 臨川王
蕭宏
(6)東昏侯
蕭宝巻 斉皇帝
蕭宝寅 (7)和帝
蕭宝融 (追)文帝
蕭長懋 閔帝
蕭淵明 (追)昭明帝
蕭統 (2)簡文帝
蕭綱 (3)元帝
蕭繹 武陵王
蕭紀 臨賀王
蕭正徳
(3)鬱林王
蕭昭業 (4)海陵王
蕭昭文 (追)安帝
蕭歓 (西1)宣帝
蕭? 哀太子
蕭大器 武烈世子
蕭方等 愍懐太子
蕭方矩 (4)敬帝
蕭方智
豫章王