台湾女子体育運動協会の理事長や[13]、中華オリンピック委員会
(中国語版)委員を務めたり、WBSC女子野球ワールドカップ第2回大会(2006年)の台湾代表団を引率した[14]。陳水扁政権で行政院大陸委員会諮詢委員を務めていた[5]。2014年香港反政府デモ(雨傘運動)では党首の蔡英文や長老の謝長廷らとともにデモ側の市民を支持する声明を出していた[15]。2019年-2020年香港民主化デモについても韓国・ソウルで開かれていたアジア・リベラル民主評議会で香港の元立法会議員単仲偕(中国語版)と共同で中国共産党政府非難声明と台湾市民に対して警戒を呼びかけていた[16]。 2009年5月、党国際部主任として日本の福岡で開催された国際会議に出席すると、九州国立博物館での宴席で名刺交換を交わした直後に美琴が民進党関係者と知った在福岡中華人民共和国総領事の武樹民
対駐日中国領事
宴席が終わると中国の学者でさえ武の発言に対し謝罪を表明している[20]。 2008年より米国のシンクタンク「プロジェクト2049研究所 蔡英文は2010年新北市長選挙出馬に伴う戸籍変更で永和市の美琴の住居を居住地として登録している[22]。 また、2011年に訪台した自由民主党の安倍晋三・菅義偉との面会にも党シンクタンク幹部として美琴が同席し[23][24]、2015年の訪米にも同行したことから公私にわたり信頼関係を築いていることを窺わせている[25]。 2002年からは比例区枠で立法委員(在外華僑の僑選枠)に就任[26]。大陸委員会諮問委員、自由主義インターナショナル副主席、アジア・リベラル民主評議会秘書長(2004-2005年)も務めた[5]。2005年からは台北選挙区から出馬、党内派閥では新潮流系
対米関係
蔡英文との関係
政治キャリア
立法委員2008年のチベット支援活動
かつて国民党のネガティブキャンペーンとして使われた光ディスク媒体が流布されていた事件(zh:非常光?)は2007年に形を変えて民進党陣営に波及した。この騒動で標的とされた美琴は[28]、翌2008年の立法委員選挙での台北2区での党内公認候補争いで王世堅(中国語版)に敗れた[29]。
2012年の第八回中華民国立法委員選挙では不分区(比例制)名簿7番目で当選[30]。その後も花蓮での活動を継続した。
2015年、翌年の第九回中華民国立法委員選挙では花蓮県選挙区(中国語版)で中国国民党候補王廷升(中国語版)の三選阻止の刺客となり、当選した[31]。
立法院の超党派議連『台美国会議員聯誼会』の発言人(スポークスパーソン)として訪米もしている[27][32]。また、『台日国会議員聯誼会』(台日交流聯誼会の前身)で幹事長として対日議員外交にも積極的だった[33]。
専門の外交や安全保障分野だけではなく、花蓮を拠点とするようになってからは、地元の観光業振興にも注力した。一定の条件を満たせば税軽減の措置が得られ、在住外国人によるインバウンド向けガイドを可能とする「発展観光条例」修正法案を提出し、2016年12月に立法院で三読審議を通過させたほか[34]、花蓮と沖縄県を結ぶ日台間のフェリーや航空便の誘致などでも精力的に活動した[35][36]。
2020年の第十回中華民国立法委員選挙では「花蓮王」の異名をもつ元花蓮県長傅??(中国語版)に敗北[37]。去就が注目されていたが、第15代中華民国副総統に当選した頼清徳の訪米に同行[38]、4月より国家安全会議の諮問委員に就任していた[39]。
チベット問題立法院でチベット亡命政府/ガンデンポタンの財務相と会談(2013年)
2012年6月、世界各国の立法府が「フレンズ・オブ・チベット」を結成していたことを受けて、美琴も数名の委員とともに立法院内で「立法院圖博之友會」を結成し[40]、抗議の焼身自殺が相次ぐチベットの人権問題への関心と亡命政府首相ロブサン・センゲへの支持を社会に訴えた。 2014年3月18日に発生したひまわり学生運動(太陽花学運)期間中は呉秉叡 長きにわたり同性婚支持を表明し、2006年には立法委員として初めて同性婚姻法案を提出した[43]。
太陽花学運
同婚問題