蔵屋敷
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蔵屋敷の諸機能
多彩な機能

蔵屋敷の基本的な機能は、上記で述べたように年貢米・特産物の売却や、これらを担保とした金融の管理であるが、この他にも多彩な機能を持つものが存在した。

とりわけ規模の大きな大坂の蔵屋敷の中には、参勤交代の途上で藩主が滞在するための御殿を設けたものもあった。

また、こうした大坂の蔵屋敷の役人が、国元の商人と大坂の商人や幕府の大坂町奉行所との間の仲介を行ったり、また幕府の役所が蔵屋敷を通じて諸藩に伝達を行う例もみられ、蔵屋敷は領国と大坂そして中央政権(幕府)を繋ぐ情報の結節点としても機能していた。
幕末

幕末に入ると、産品の輸出や海外からの武器調達を目的とした商会所を併設する藩も現われて、蔵屋敷の機能が低下を始める。また、大坂の蔵元や掛屋の藩の経済政策への介入を防ぐために藩から大坂以外の大都市への直接販売や備中松山藩のように蔵屋敷自体を廃止してしまう藩も現われた。
明治

明治維新後の廃藩置県によって諸藩の蔵屋敷は新政府によって接収され、また旧藩債務の大幅切捨てを断行したために、多額の債権を焦げ付かせた元の蔵元・掛屋が次々と破産して特に大阪(大坂)経済は大混乱に陥った。

続く地租改正によって農民が直接政府に対して金納による納税を行う事になったために、農民が地元で米を売却・換金するようになり、農民→藩→蔵屋敷という江戸時代に長く続いた米の流通構図が崩壊した。

このことが東京に比べて経済の近代化を遅らせ、「天下の台所」と呼ばれてきた大阪が日本経済の中心から転落する一因ともなったとされている。[要出典]
注釈^ 主に隅田川下流や江戸湾に注ぐ小河川の河口付近
^ 実際に借金踏み倒しを目的に蔵元や掛屋を交代させる例があり、実際に天保6年(1835年)と安政4年(1857年)に大坂町奉行から諸藩にこうした行為の禁止が言い渡されている。

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武家屋敷

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