蔡 英文(さい えいぶん、ツァイ インウェン、繁: 蔡 英文、英: Tsai Ing-wen、1956年〈民国45年〉8月31日 - )は、中華民国(台湾)の政治家、法学博士 (LSE)。第7代中華民国総統(14期・15期)。民主進歩党主席(第12代・第13代・第15代・第17代)、同国行政院副院長(副首相に相当)を歴任した[2]。 蔡英文の祖父は屏東県枋山郷楓港の客家の旧家で、祖母は獅子郷のパイワン族の末裔である[3]。 英文の父・蔡潔生
来歴
生い立ち
潔生は18歳の時に 日本軍による南洋作戦への徴用を避けるために中国大陸に渡り、満洲国の満洲機械学校で飛行機修理を学んだ[6]。太平洋戦争で日本が降伏したのちに台湾に戻り、自ら創業して貨物運送所を開設する。台北市へ移って自動車整備工場を開設して輸入車整備業務に参入し、駐台米軍と外国人顧問の相手を専門にして事業を営み、60歳近くで不動産業、建築業及びホテルビジネスに参入する。中山区の中山北路と新生北路一帯に少なくない不動産を購入して富を得た。2011年12月下旬の中央選挙委員会の財産申請資料によれば、蔡英文は土地4か所、建物2か所、ニュー台湾ドルで1805万元の預金、担保などを所有した[7]。
英文のパイワン族名は「Tjuku」[8][9] で、「頭目の娘」という意味である[10]。家系図によれば本来は「蔡瀛文」と命名されるはずであったが「瀛」は画数が多く、父親の蔡潔生が「瀛」を音が似る「英」に換えて「蔡英文」とした[11]。 父親の勧めで法学を学び[12]、1978年に台湾の国立台湾大学法学部を卒業後、1980年にアメリカのコーネル大学ロースクールで法学修士、1984年にイギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法学博士[13][14]、帰国後に国立政治大学及び東呉大学の教授に就く[15]。 国民党政権下の1990年代に、行政院経済部の国際経済組織首席法律顧問、経済部貿易調査委員会委員、行政院大陸委員会委員、行政院公平交易委員会委員、公正取引委員会委員、著作権委員会委員などを務め[15]、1999年に李登輝総統が発表した中台関係の新定義、いわゆる「二国論」(「特殊な国と国の関係」論)にも深く関わった[16][17]。
学歴
行政院