蔡英文
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蔡 英文(さい えいぶん、ツァイ インウェン、: 蔡 英文、: Tsai Ing-wen、1956年民国45年〉8月31日 - )は、中華民国台湾)の政治家法学博士 (LSE)。第7代中華民国総統(14期・15期)。民主進歩党主席(第12代・第13代・第15代・第17代)、同国行政院副院長副首相に相当)を歴任した[2]
来歴
生い立ち

蔡英文の祖父は屏東県枋山郷楓港の客家の旧家で、祖母は獅子郷パイワン族の末裔である[3]

英文の父・蔡潔生(中国語版)(1918 - 2006) は枋山郷出身の豪商。『商業周刊』の報道によれば、蔡潔生は四人の女性と家庭を持ち、英文の母は張金鳳 (1924 - 2018)。子供は合わせて11人で英文は末子[4]ジャーナリスト政治評論家の周玉?は、著書で「蔡潔生は五人の女性がいて、蔡英文は五人目の女性が生んだ」と主張しているが、この説は蔡潔生の家族の確認を得られてはいない[5]

潔生は18歳の時に 日本軍による南洋作戦への徴用を避けるために中国大陸に渡り、満洲国の満洲機械学校で飛行機修理を学んだ[6]太平洋戦争日本が降伏したのちに台湾に戻り、自ら創業して貨物運送所を開設する。台北市へ移って自動車整備工場を開設して輸入車整備業務に参入し、駐台米軍と外国人顧問の相手を専門にして事業を営み、60歳近くで不動産業、建築業及びホテルビジネスに参入する。中山区の中山北路と新生北路一帯に少なくない不動産を購入して富を得た。2011年12月下旬の中央選挙委員会の財産申請資料によれば、蔡英文は土地4か所、建物2か所、ニュー台湾ドルで1805万元の預金、担保などを所有した[7]

英文のパイワン族名は「Tjuku」[8][9] で、「頭目の娘」という意味である[10]家系図によれば本来は「蔡瀛文」と命名されるはずであったが「瀛」は画数が多く、父親の蔡潔生が「瀛」を音が似る「英」に換えて「蔡英文」とした[11]
学歴

父親の勧めで法学を学び[12]1978年に台湾の国立台湾大学法学部を卒業後、1980年アメリカコーネル大学ロースクールで法学修士1984年イギリスロンドン・スクール・オブ・エコノミクス法学博士[13][14]、帰国後に国立政治大学及び東呉大学教授に就く[15]
行政院

国民党政権下の1990年代に、行政院経済部の国際経済組織首席法律顧問、経済部貿易調査委員会委員、行政院大陸委員会委員、行政院公平交易委員会委員、公正取引委員会委員、著作権委員会委員などを務め[15]1999年李登輝総統が発表した中台関係の新定義、いわゆる「二国論」(「特殊な国と国の関係」論)にも深く関わった[16][17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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