蓮浄院
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脚注^ 『幕府祚胤伝』に二之御部屋とあり、『以貴小伝』に新典侍局とある。
^ 『徳川幕府家譜』には大助殿とある。
^ 熙子が家宣に輿入れしたのは延宝7年(1679年)のことであり、蓮浄院の没年である明和9年(1772年)から逆算すると100年近くも開きがある。
^ 吉保の側室・染子の親戚筋にあたる。
^ 正室熙子出生の長男は生まれたその日に死亡している。
^ 同様に、御所風になぞらえて、お古牟は右近の方、三の御部屋様のお喜世は左京の方と称せられた。
出典
徳川家墓碑総覧
日本女性人名事典
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